「餅は餅屋」──資格の壁を越えた“なんちゃって専門家”が企業を危険にさらす
杉山 晃浩
第1章 “無資格業務”で逮捕──他人事ではない士業越境の現実
2025年10月、大阪で衝撃的なニュースが報じられました。
税理士が、社会保険労務士(以下、社労士)の資格を持たないまま、労働保険の申請書を代行し、報酬を得ていたとして逮捕されたのです。警察の調べによれば、1件5,000円〜10万円の報酬で請け負い、約400万円を売り上げていたといいます。
この事件を「士業同士の縄張り争い」と見る人もいます。
しかし、これは単なる業界の争いではありません。
問題の本質は、“資格のない人に依頼した企業がリスクを負う”ということです。
もし、その書類にミスがあり、労災や保険給付が遅れたり、不正申請と判断されれば、最終的に責任を問われるのは企業側。
「知らなかった」では済まされません。
だからこそ、社労士法には「無資格業務の禁止」が定められているのです。
第2章 資格には理由がある──士業制度の本当の目的
士業の資格制度は、単なる“独占業務の囲い込み”ではありません。
たとえば社労士には、労働・社会保険に関する法律知識のほか、労働基準監督署や年金事務所に提出する書類の正確性・適法性を担保する責任があります。
税理士には、国税庁とのやり取りや税務申告書への署名責任があります。
行政書士は、許認可・契約書・法的文書の作成責任を負います。
つまり、士業ごとに“戦う相手”が違うのです。
社労士は労基署や年金事務所、税理士は税務署、行政書士は行政庁。
それぞれの「守備範囲」と「責任範囲」が明確に線引きされています。
この仕組みは、依頼者を守るための防波堤です。
専門知識のない人が安易に手続きを代行し、トラブルを引き起こさないようにするための“社会的な安全装置”なのです。
第3章 “ついでにお願い”が企業を危険にさらす理由
中小企業ではよくこんな光景があります。
「税理士さんに社会保険の届出もお願いしてる」
「社労士さんに年末調整もお願いしてる」
「行政書士さんに就業規則のチェックも頼んだ」
たしかに、頼みやすい人に“ついでにお願い”したくなる気持ちはわかります。
でも、そこには大きな落とし穴があります。
それは、専門外の士業がトラブルを起こした場合、誰も責任を取れないという現実です。
仮に税理士が社労士業務を代行していたとして、後でミスが発覚しても、税務署相手ならともかく、労基署や年金事務所とは戦えません。
法的に“権限”がないからです。
逆に、社労士が税務の相談に乗って間違った助言をした場合も同じです。
税務署から指摘を受けても、社労士には税務代理の権限がありません。
最終的に損をするのは企業なのです。
第4章 餅は餅屋──専門家は自分の領域で最大の価値を発揮する
私自身、社会保険労務士であり行政書士ですが、年末調整業務は請け負いません。
その理由はシンプルです。
「税務署とけんかできる資格を持っていない」からです。
私は、労務・社会保険の専門家として、法令に基づいた“正しい労務管理”を支援する立場です。
だから、税務の領域には踏み込みません。税務知識や情報は伝えますが、自社に合うのか否か、必ず税理士に確認して欲しいと伝えています。
同様に、税理士が労務の手続きに踏み込むべきではありません。
どちらも“自分の領域を守る”ことが、結果的に依頼者の信頼を守ることにつながります。
餅は餅屋。
専門家が専門分野に集中するからこそ、精度が上がり、スピードが増し、責任の所在も明確になります。
「なんでもできる士業」よりも、「自分の専門を極めた士業」のほうが、結果的に企業の力になります。
第5章 “正しい士業連携”が企業を守る未来をつくる
ワンストップサービスという言葉があります。
これは「一人の士業が全部やる」という意味ではありません。
本来は、専門家同士が連携して一体的に支援する仕組みのことです。
たとえば私の事務所では、
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税務 → 税理士
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労務 → 社労士
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許認可・契約書 → 行政書士
と、それぞれ専門家が連携し、顧客企業をサポートしています。
経営者から見れば、窓口はひとつ。
しかし、裏では専門家が連携し、責任と知識を分担しています。
これが本当の意味での「ワンストップ」なのです。
こうした正しい連携は、
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トラブルが起きたときに誰が対応するのかが明確
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行政対応の一貫性が保たれる
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コンプライアンスの強化につながる
という利点を生みます。
第6章 経営者へのメッセージ──“安さ”より“信頼”を買う時代へ
今回の逮捕事件のような無資格業務は、ほとんどの場合「安く頼めるから」という理由で起きます。
しかし、経営リスクの観点から見れば、安さで専門家を選ぶのは非常に危険です。
もし不適切な手続きで行政処分を受ければ、罰則や追徴金、最悪の場合は事業停止の可能性すらあります。
“安さ”で頼んだつもりが、“高くつく結果”になることも珍しくありません。
一方で、正しい専門家は、できないことを「できません」と言います。
これは逃げではなく、誠実さの証。
専門外には手を出さず、信頼できる仲間にバトンを渡す姿勢こそが、本物のプロフェッショナリズムです。
まとめ──餅は餅屋、信頼は信頼屋
資格の壁を越えることは、万能ではなく、無責任の始まりです。
士業の専門領域は、顧客を守るために設けられた線引き。
「餅は餅屋」という昔ながらの言葉には、深い知恵があります。
経営者の皆さん。
どうか“安さ”より“信頼”で専門家を選んでください。
そして、社労士・税理士・行政書士が連携することで、企業の未来をより安全で、持続可能なものにしていきましょう。