変形労働時間制を入れれば残業代が減る、は本当か?経営者が知らない制度導入の落とし穴
杉山 晃浩
「変形労働時間制を入れれば、残業代を減らせるんですよね?」
経営者の方から、こう聞かれることがあります。
たしかに、変形労働時間制を正しく導入すると、繁忙期には1日8時間を超える勤務日を設定し、その代わりに閑散期の勤務時間を短くするなど、会社の忙しさに合わせた柔軟な労働時間設計ができるようになります。
その結果として、通常の労働時間制よりも時間外労働が少なくなる会社もあるでしょう。
しかし、ここで注意していただきたいことがあります。
変形労働時間制は「残業代をなくすための制度」ではありません。
制度を入れれば、自動的に残業代が減るわけでもありません。
むしろ、自社の働き方に合っていないのに導入したり、ルールを理解しないままシフトを組んだりすると、
「変形労働時間制を導入しているから残業代は不要だと思っていた」
ところが実際には、
「未払い残業代が発生していた」
ということにもなりかねません。
今回は、中小企業の経営者や人事担当者が勘違いしやすい、変形労働時間制の本当の目的と制度導入の落とし穴について考えてみたいと思います。
そもそも変形労働時間制とは何のための制度なのか
労働基準法では、原則として労働時間は、
1日8時間、1週40時間以内
とされています。
これを「法定労働時間」といいます。
一方で、会社によっては毎日同じ忙しさとは限りません。
たとえば、
月初と月末が忙しい会社。
週末にお客様が集中する店舗。
夏や年末が繁忙期になる会社。
工事の工程によって忙しい時期が変わる建設会社。
患者数や利用者数によって勤務時間が変動する医療・介護事業所。
こうした会社では、毎日一律に8時間勤務とするよりも、忙しい日に長く働き、比較的暇な日は短く働く方が、実態に合っている場合があります。
そこで使われるのが変形労働時間制です。
厚生労働省は、変形労働時間制について、一定期間を平均して1週間当たりの労働時間が法定労働時間を超えない範囲で、特定の日や週に1日8時間・週40時間を超えて働かせることができる制度と説明しています。
つまり、この制度の本質は、
会社の繁閑に合わせて、あらかじめ労働時間を計画的に配分すること
です。
「残業代削減制度」というより、
労働時間の配分制度
と考えた方がわかりやすいでしょう。
「10時間働かせても残業代ゼロ」は半分正しく、半分間違い
変形労働時間制について、
「1日10時間働かせても残業にならない」
という説明を聞いたことがある方もいるかもしれません。
これは、条件によっては正しい話です。
たとえば、適法に変形労働時間制を導入し、
「この日は所定労働時間10時間」
と事前に定めている場合には、その10時間までは1日8時間を超えていても、直ちに法定時間外労働になるわけではありません。
しかし、
「変形労働時間制を導入しているから、何時間働いても残業にならない」
わけではありません。
1年単位の変形労働時間制の場合、厚生労働省は、1日については、8時間を超える所定労働時間をあらかじめ定めた日はその時間を超えた部分、それ以外の日は8時間を超えた部分などが時間外労働になると説明しています。
つまり、
「今日は8時間勤務の予定だったけれど、忙しいから10時間働いてもらった」
という場合、
「うちは変形労働時間制だから大丈夫」
とは限りません。
あらかじめ何時間働く日として定めていたのか。
ここが重要になります。
一番危ないのは「忙しくなったら後から勤務時間を変える会社」
変形労働時間制で特に注意したいのが、勤務時間の変更です。
たとえば、1年単位の変形労働時間制を導入している会社が、
「今日は8時間勤務の予定だったけど、仕事が入ったから10時間に変更しよう」
「来週の日曜日は休日だったけど、工事が入ったから出勤日にしよう」
という運用を頻繁に行っていたらどうでしょう。
実は、1年単位の変形労働時間制は、会社が忙しさに応じて、その都度自由に労働時間を変えるための制度ではありません。
厚生労働省のガイドラインでは、1年単位の変形労働時間制について、労働日と労働時間を前もって定め、計画的な時間管理が可能な業務を対象とする制度であり、会社が業務の都合によって任意に労働時間を変更するような業務には適さないとされています。
ここは非常に重要です。
変形労働時間制は、
「忙しくなったら長く働いてもらう制度」
ではなく、
「忙しくなる時期をあらかじめ予測して勤務時間を設計する制度」
なのです。
この違いを理解せずに導入すると、制度を入れた意味がなくなるだけでなく、残業計算そのものを間違える可能性があります。
変形労働時間制が向いている会社、向いていない会社
では、どのような会社に変形労働時間制が向いているのでしょうか。
たとえば、
毎年同じ時期に繁忙期がある。
月末や月初など、忙しい時期がある程度予測できる。
季節によって仕事量が変わる。
年間の営業カレンダーを事前に作ることができる。
このような会社は、制度との相性がよい可能性があります。
一方で、
毎日のように突然仕事が入る。
翌日の勤務時間すら予測できない。
顧客の都合で勤務時間を頻繁に変更する。
シフトが直前まで決まらない。
という会社では、制度設計が難しくなることがあります。
厚生労働省も、1年単位の変形労働時間制では、対象期間中の労働日と各労働日の労働時間を具体的に特定することを原則としています。一定の区分を設ける方法もありますが、その場合でも必要な手続を経て事前に勤務を特定する仕組みが必要です。
ですから、
「他社もやっているから」
「社労士に勧められたから」
「残業代が減りそうだから」
という理由だけで導入するのではなく、
自社の仕事の繁閑を事前に予測できるか
を考えることが大切です。
1か月単位と1年単位、どちらでも同じではありません
変形労働時間制には複数の種類があります。
中小企業でよく使われるのは、
1か月単位の変形労働時間制
と、
1年単位の変形労働時間制
です。
厚生労働省も、それぞれ別の制度として案内しています。
たとえば、月の中で繁閑がある会社であれば、1か月単位が合うことがあります。
一方で、季節による繁閑が大きい会社では、1年単位が検討されることがあります。
しかし、
「どちらも平均して週40時間だから同じでしょう」
と考えるのは危険です。
導入要件や労使協定、労働日の設定方法、対象期間などが異なります。
特に1年単位の変形労働時間制は、年間を通じた計画的な労働時間管理を前提としています。
会社の働き方に合わない制度を選ぶと、現場が制度に合わせることになり、
シフトが組めない。
休日変更が増える。
給与計算が複雑になる。
管理職がルールを理解できない。
という本末転倒な状態になることがあります。
変形労働時間制を導入しても36協定は必要です
これもよくある誤解です。
「変形労働時間制を導入しているから、36協定はいらないですよね?」
そうではありません。
変形労働時間制を適法に導入すれば、あらかじめ定めた範囲内では、特定の日に8時間を超えたり、特定の週に40時間を超えたりする勤務を設定できます。
しかし、その制度上の範囲を超えて法定時間外労働をさせるのであれば、36協定が必要になります。
厚生労働省も、法定労働時間を超えて時間外労働をさせる場合には、過半数労働組合または過半数代表者との36協定を締結し、労働基準監督署へ届け出る必要があるとしています。
変形労働時間制は、
36協定を不要にする制度ではありません。
ここも整理しておく必要があります。
制度より怖いのは「給与計算が間違っている」こと
私が変形労働時間制で特に注意してほしいと思っているのが、給与計算です。
制度を正しく導入した。
就業規則も整備した。
労使協定も作った。
勤務カレンダーも作った。
ここまで完璧でも、
残業計算が間違っていたら意味がありません。
変形労働時間制の時間外労働は、通常の
「1日8時間を超えたら全部残業」
という計算だけではありません。
日単位。
週単位。
変形期間全体。
それぞれで確認が必要になるケースがあります。
特に給与計算担当者が、
「変形労働時間制だから8時間超は全部残業なし」
と理解していたら、未払い賃金が発生する可能性があります。
また、勤怠システムを導入している会社も注意が必要です。
システムは、法律を自動的に理解してくれるわけではありません。
設定された条件に従って計算するだけです。
制度設計が間違っている。
勤務カレンダーの登録が違う。
残業判定の設定が違う。
そうなれば、システムは間違った答えを正確に出し続けます。
だからこそ、
「勤怠システムを入れたから安心」ではなく、「システムの設定が自社の制度と合っているか」
を確認する必要があります。
管理職が制度を知らない会社は運用で失敗する
人事担当者や給与計算担当者だけが制度を理解していても、うまくいかないことがあります。
なぜなら、実際にシフトを変更したり、残業を指示したりするのは現場の管理職だからです。
たとえば管理職が、
「うちは変形だから今日は10時間働いても残業じゃない」
「忙しいから明日の勤務を8時間から10時間に変更しよう」
と判断していたらどうでしょう。
制度設計が正しくても、現場運用で崩れてしまいます。
変形労働時間制を導入するのであれば、
経営者。
人事担当者。
給与計算担当者。
現場管理職。
それぞれが、
「何時間から残業になるのか」
「勤務表はいつまでに決めるのか」
「変更してよい場合、いけない場合は何か」
を理解しておく必要があります。
制度導入よりも、制度を正しく運用し続ける方が難しい。
私は、変形労働時間制についてそう感じることがあります。
途中入社・途中退職にも注意が必要です
1年単位の変形労働時間制では、対象期間の途中で入社した社員や、途中で退職した社員についても注意が必要です。
厚生労働省は、途中採用者や途中退職者について、実際に変形労働時間制で働いた期間を平均し、1週間当たり40時間を超えた場合には、一定の賃金清算が必要になると説明しています。
こうした処理は、通常の給与計算だけを経験している担当者にはわかりにくい部分です。
会社として制度を導入するのであれば、
導入時だけではなく、
入社。
退社。
休職。
勤務変更。
といった場面も想定しておく必要があります。
「残業代が減った」は、本当に成功でしょうか?
制度導入後、残業代が減った。
経営者としては、
「変形労働時間制を導入してよかった」
と思うかもしれません。
しかし、私は一度立ち止まって確認していただきたいと思います。
残業代が減った理由は何でしょうか。
本当に繁閑に合わせた勤務時間設計ができたからでしょうか。
それとも、
残業計算を間違えている。
シフト変更後の残業を計上していない。
勤務表上の時間だけを見ている。
勤怠システムが正しく設定されていない。
という可能性はないでしょうか。
「残業代が減った」
だけを制度成功の基準にするのは危険です。
見るべきなのは、
残業時間が適正に減ったのか。
そして、
働いた時間に対する賃金が正しく支払われているのか。
この2つです。
あなたの会社に、本当に変形労働時間制は必要ですか?
ここまで読んで、
「うちの変形労働時間制は本当に正しく運用できているかな」
「制度を入れたけれど、残業計算まで確認したことがない」
「勤怠システムに任せきりになっている」
と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
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変形労働時間制を導入している会社も、これから導入を考えている会社も、一度自社の状況を確認してみてください。
変形労働時間制は「残業代を減らす魔法」ではありません
最後に、今回最もお伝えしたかったことです。
変形労働時間制は、正しく使えば非常に便利な制度です。
繁忙期に長く働く。
閑散期は早く帰る。
忙しい時期と暇な時期に合わせて、会社と社員双方にとって働きやすい時間設計をする。
それができれば、生産性の向上や労働時間の適正化につながるでしょう。
しかし、
「残業代を減らしたい」
という目的だけで制度を導入すると、失敗する可能性があります。
制度が会社に合っていない。
勤務時間を後から自由に変えている。
管理職が制度を理解していない。
勤怠システムの設定が違う。
給与計算が間違っている。
こうした問題が一つでもあれば、
残業代が減ったのではなく、
残業代が正しく計算されていないだけ
かもしれません。
経営者が考えるべきなのは、
「どの制度を入れれば残業代が安くなるか」
ではありません。
自社の働き方に、どの労働時間制度が一番合っているか。
ここから考えることが大切です。
変形労働時間制を導入している会社は、制度が今の働き方に合っているか。
これから導入を検討している会社は、本当に自社に必要なのか。
一度、就業規則、勤務表、勤怠データ、給与計算結果を並べて見直してみてはいかがでしょうか。
制度を入れることがゴールではありません。
制度が正しく動き続けていること。
それこそが、変形労働時間制を活かす一番のポイントだと思います。