その月給、基本給はいくらですか?固定残業代の曖昧な明示が採用トラブルを招く
杉山 晃浩
「月給30万円」
求人票にこの金額が書いてあれば、多くの応募者は「毎月30万円を基本に働ける」と受け止めるでしょう。
ところが、入社して労働条件通知書を確認すると、内訳は次のようになっていた。
- 基本給 20万円
- 固定残業代 10万円
- 固定残業時間 45時間分
給与の総額は、確かに30万円です。
しかし、「基本給30万円」と「基本給20万円に固定残業代10万円を加えた月給30万円」では、意味がまったく違います。
賞与や昇給、退職金が基本給をもとに決まる会社であれば、将来受け取る金額にも影響します。また、固定残業代に何時間分の残業が含まれているのかによって、応募者が想定する働き方も変わります。
会社側に隠す意図がなかったとしても、応募者から、
「月給30万円と書いてあったので、基本給が30万円だと思っていた」
「固定残業代が含まれているとは聞いていない」
「残業代は別に支払われると思っていた」
と言われれば、採用時の説明をめぐるトラブルになります。
賃金は、従業員が会社を選ぶうえで最も重要な労働条件の一つです。
今回は、採用時に明示すべき賃金の内容と、特に間違いが起きやすい固定残業代について、分かりやすく整理します。
「月給○万円」だけでは賃金の中身が分からない
労働基準法第15条では、会社が労働契約を結ぶ際に、賃金、労働時間などの労働条件を明示することを求めています。
賃金については、単に月給の総額を知らせれば終わりではありません。
少なくとも、次のような事項が分かるようにしておく必要があります。
- 月給、日給、時給などの賃金形態
- 基本給の金額
- 各手当の名称と金額
- 賃金の計算方法
- 賃金の締切日
- 賃金の支払日
- 昇給に関する事項
- 時間外労働などに対する割増賃金の計算方法
例えば、月給30万円という求人でも、内訳にはさまざまな可能性があります。
「基本給30万円」
「基本給25万円+職務手当5万円」
「基本給20万円+固定残業代10万円」
これらは、毎月の支給総額だけを見れば同じ30万円です。
しかし、どの手当が残業代の計算に含まれるのか、欠勤した場合にどう控除するのか、賞与や退職金の計算にどう影響するのかは、会社の制度によって異なります。
だからこそ、採用時には総額だけでなく、賃金の内訳と計算方法まで説明する必要があるのです。
固定残業代は、違法な制度ではない
固定残業代と聞くと、「ブラック企業が使う制度」という印象を持つ人もいるかもしれません。
しかし、固定残業代という仕組み自体が、直ちに違法になるわけではありません。
固定残業代とは、実際に残業したかどうかにかかわらず、一定時間分の時間外労働、休日労働、深夜労働などに対する割増賃金を、あらかじめ定額で支払う仕組みです。
例えば、
「通常の時間外労働20時間分として、固定残業代3万円を支給する」
という制度です。
実際の時間外労働が10時間しかなかった月でも、原則として決められた固定残業代を支払います。
反対に、実際の時間外労働に対して法律上支払うべき割増賃金が、固定残業代の金額を超えた場合には、その差額を追加で支払う必要があります。
つまり、固定残業代は「定額を払えば、何時間残業させてもよい」という制度ではありません。
会社があらかじめ一定額を支払い、実際の割増賃金がそれを超えたら差額を精算する制度です。
この基本を理解せず、
「うちは固定残業代を払っているから、追加の残業代は発生しない」
「固定残業時間以内なら、残業時間を記録しなくてよい」
と運用すると、未払賃金などの問題につながります。
固定残業代で明らかにしたい「3点セット」
固定残業代を導入している会社では、少なくとも次の3点を明確にすることが重要です。
1.固定残業代を除いた基本給の金額
基本給と固定残業代を、はっきり分けて表示します。
よくない例は、次のような書き方です。
「月給30万円(残業代を含む)」
これでは、基本給がいくらなのか、残業代がいくらなのか分かりません。
改善例は、次のような形です。
「基本給25万円、固定残業代5万円」
名称が「営業手当」「職務手当」「業務手当」になっていても、その全部または一部を固定残業代として扱うのであれば、残業代に当たる金額を区分して示す必要があります。
手当の名前だけを変えても、中身が固定残業代であれば、説明が不要になるわけではありません。
2.何時間分の割増賃金なのか
固定残業代の金額だけでなく、何時間分に相当するのかを明らかにします。
例えば、
「固定残業代5万円は、通常の時間外労働30時間分として支給する」
という書き方です。
ここで注意したいのが、通常の時間外労働、法定休日労働、深夜労働では、割増率が異なるという点です。
単に「残業30時間分」と書くだけでは、休日出勤や深夜勤務まで含むのかが分かりません。
どの労働に対する固定残業代なのかを明確にし、それぞれの割増率に応じて計算する必要があります。
3.超過分を追加で支払うこと
実際に支払うべき割増賃金が固定残業代を超えた場合は、差額を追加で支払うことを明示します。
例えば、
「30時間を超える時間外労働については、法令に基づき割増賃金を追加で支給する」
という書き方です。
厚生労働省や各労働局も、求人票で固定残業代を表示する場合には、
- 固定残業代を除いた基本給
- 固定残業代の金額と対象時間数
- 対象時間を超えた分を追加支給すること
を明示するよう案内しています。
この3点は、求人票だけでなく、労働条件通知書、雇用契約書、就業規則、賃金規程でも整合させておきたいところです。
「営業手当に残業代を含む」は危険な表現
中小企業の賃金規程では、次のような規定を見かけることがあります。
「営業手当には、時間外労働に対する手当を含む」
しかし、これだけでは重要なことが分かりません。
営業手当の全額が固定残業代なのか、一部だけなのか。
何時間分なのか。
通常の時間外労働だけなのか、休日や深夜労働も含むのか。
超過分はどのように支払うのか。
こうした点が曖昧なままでは、会社が固定残業代として支払ったつもりでも、その全額が残業代として認められるとは限りません。
また、労働条件通知書には「営業手当5万円」としか書かれておらず、就業規則にだけ固定残業代であることが書かれているケースもあります。
会社側は「就業規則を見れば分かる」と考えるかもしれません。
しかし、採用時に本人へどのような説明をしたのか、基本給と固定残業代を明確に区分できているのかという点は、別に確認する必要があります。
応募者や新入社員が、賃金の中身を読んで理解できることが大切です。
固定残業代を払っても、勤怠管理は必要
固定残業代について、特に大きな誤解がこれです。
「30時間分の固定残業代を払っているので、30時間までは残業時間を数えなくてもよい」
これは適切ではありません。
固定残業代を導入していても、会社には実際の労働時間を把握する必要があります。
実労働時間が分からなければ、固定残業代を超える割増賃金が発生したかどうかを判断できません。
例えば、30時間分の固定残業代を支給している従業員が、実際には45時間の時間外労働をしていたとします。
この場合、法律上支払うべき割増賃金を計算し、固定残業代を超える部分があれば追加で支払う必要があります。
さらに、固定残業代があるからといって、36協定の届出や時間外労働の上限規制が不要になるわけでもありません。
固定残業代は「賃金の支払い方」の問題です。
36協定は「法定労働時間を超えて働かせるための手続」の問題です。
長時間労働の防止や健康管理も、また別の問題です。
これらを混同しないようにしましょう。
固定残業時間が長すぎると、採用にも悪影響が出る
法律上の計算が合っているとしても、固定残業時間が極端に長い求人は、応募者から敬遠される可能性があります。
例えば、求人票に、
「月給35万円。うち固定残業代12万円、60時間分を含む」
と書かれていたら、応募者はどう感じるでしょうか。
会社側は、
「実際にはそれほど残業しない。多めに手当を払っているだけだ」
と説明するかもしれません。
しかし、応募者からは、
「毎月60時間の残業を前提にしている会社なのではないか」
「固定残業時間までは残業を求められるのではないか」
「長時間労働が当たり前の職場ではないか」
と受け取られる可能性があります。
固定残業時間は、法的な問題だけでなく、採用広報上の問題でもあります。
制度を導入した当時は残業が多かったものの、現在は業務改善が進み、実際の残業が月10時間程度になっている会社もあるでしょう。
それでも、昔のまま「40時間分」「45時間分」という設定を残していると、応募者に不要な不安を与えます。
固定残業代を導入している会社は、金額の計算だけでなく、
「現在の働き方に、この制度が合っているか」
という視点からも定期的に見直す必要があります。
最低賃金の確認から固定残業代を外していますか?
最低賃金を確認するときにも、固定残業代には注意が必要です。
月給制の場合、最低賃金の対象となる賃金を1か月平均の所定労働時間で割り、時間額に換算して確認します。
このとき、時間外労働などに対して支払う固定残業代は、最低賃金との比較に算入しません。
例えば、月給25万円の内訳が、
- 基本給17万円
- 固定残業代8万円
となっている場合、月給総額25万円だけを見て最低賃金を上回っていると判断するのは危険です。
最低賃金の確認では、対象となる基本給や手当を取り出して計算する必要があります。
さらに、最低賃金は毎年見直されます。
固定残業代を導入したときには問題がなかったとしても、最低賃金の引上げや月平均所定労働時間の変化によって、基本給部分の時間単価が最低賃金を下回ることがあります。
最低賃金が改定されたときには、時給者だけでなく、月給者や固定残業代のある従業員も再計算しましょう。
求人票、通知書、給与明細を横に並べてください
固定残業代の問題を発見する最も簡単な方法は、関係書類を横に並べることです。
確認する資料は、次のとおりです。
- 求人票
- 採用サイト
- 面接時の説明資料
- 内定通知書
- 労働条件通知書
- 雇用契約書
- 就業規則
- 賃金規程
- 給与明細
- 勤怠記録
例えば、求人票には「固定残業代30時間分」と書かれているのに、労働条件通知書には「営業手当」としか書かれていない。
賃金規程では20時間分となっている。
給与明細には「職務手当」と表示されている。
このような状態では、担当者自身も何が正しいのか分からなくなります。
採用担当者、労務担当者、給与計算担当者が別々に仕事をしている会社ほど、書類の不一致が起きやすくなります。
求人票を作成するときだけ確認するのではなく、入社後の給与計算まで一つの流れとして点検することが重要です。
賃金の曖昧さは、採用炎上につながる
賃金をめぐるトラブルは、単なる書類の記載ミスでは済みません。
従業員にとって賃金は、自分の働きに対する会社からの評価であり、生活を支えるお金です。
そのため、
「説明されていなかった」
「後から固定残業代だと言われた」
「残業代が追加で支払われない」
という不満は、強い不信感につながります。
その不信感が、退職、労働基準監督署への相談、未払賃金の請求、口コミサイトへの投稿、SNSでの発信へと広がる可能性があります。
会社側に悪意がなくても、説明が曖昧であれば、外からは「隠していた」と見られるかもしれません。
採用炎上を防ぐうえで大切なのは、給与を高く見せることではありません。
基本給、手当、固定残業代を正確に区分し、応募者が理解できる言葉で説明することです。
無料チェックシートで賃金の「中身」を確認してください
今回、固定残業代を含む賃金の明示と運用を確認するために、
「その月給、基本給はいくらですか? 賃金・固定残業代の労働条件明示チェックシート」
をご用意しました。
このチェックシートでは、次の内容を確認できます。
- 賃金の基本的な明示事項
- 基本給と各手当の区分
- 固定残業代の金額と対象時間数
- 超過分の追加支給
- 割増賃金の概算
- 最低賃金との比較
- 求人票、面接説明、労働条件通知書の整合
- 賃金規程、給与明細、勤怠記録の整合
- 改善すべき項目の優先順位
「固定残業代を導入しているが、計算方法を説明できない」
「求人票と給与明細の名称が違っている」
「超過分を毎月確認しているか自信がない」
という会社は、ぜひ一度点検してみてください。
なお、固定残業代の有効性や未払賃金の有無は、契約内容、就業規則、賃金規程、計算方法、実際の労働時間、差額の支払状況などによって判断が異なります。
チェック結果だけで適法・違法を断定したり、賃金制度を直ちに変更したりせず、具体的な対応前に社会保険労務士、弁護士、労働基準監督署などへご相談ください。
「月給30万円」と書くことよりも、その30万円の中身を説明できること。
それが、採用時の信頼を守り、入社後のトラブルを防ぐ賃金管理の第一歩です。
【参考資料】
- 厚生労働省「採用時に明示しなければならない労働条件」
- 厚生労働省「2024年4月から労働条件明示のルールが変わります」
- 静岡労働局「固定残業代を賃金に含める場合は、適切な表示をお願いします」
- 京都労働局「固定残業代に関する求人のQ&A」