なぜ経営者は四国八十八ヶ所を巡るのか――答えではなく「問い」を取り戻す旅
杉山 晃浩
経営者の中には、四国八十八ヶ所を巡る方がいます。
白衣をまとい、菅笠をかぶり、金剛杖を手に札所を巡る。車やバスで回る方もいれば、何日、何週間、時には数か月をかけて歩く方もいます。
会社では、時間を無駄にしないことを求められます。
少ない人員で成果を上げる。移動時間を短くする。費用対効果を考える。目的地まで、できるだけ早く到着する。
経営者は、日頃から「効率」を考え続けています。
それなのに、なぜ経営者は、長い時間をかけて八十八もの札所を巡るのでしょうか。
お大師様に事業の成功をお願いするためでしょうか。
運をよくするためでしょうか。
それとも、何か特別な答えを授けてもらうためでしょうか。
もちろん、遍路へ向かう理由は人によって違います。
しかし、私には四国遍路が、経営の正解を教えてもらう旅というより、日常の中で見失った「問い」を取り戻す旅のように思えます。
経営者は、立ち止まりにくい
経営者は、簡単には立ち止まれません。
社員の給与を支払わなければならない。
お客様との約束を守らなければならない。
資金繰りを考え、採用に悩み、設備投資や新規事業を判断しなければならない。
一つの問題が片づく前に、次の問題が起きます。
経営者が疲れていても、会社は止まってくれません。
「少し休みたい」と思っても、自分だけ休むことに罪悪感を持つ方もいます。
その結果、経営者の頭の中は、いつも目の前の課題でいっぱいになります。
売上をどう上げるか。
人をどう採るか。
退職をどう防ぐか。
この取引を受けるか。
この社員を管理職にするか。
これらは重要な問題です。
しかし、目の前の問題に追われ続けていると、もっと根本的な問いを考える時間がなくなります。
自分は、なぜこの会社を経営しているのか。
誰を幸せにしたいのか。
何のために利益を出すのか。
守るべきものは何か。
手放すべきものは何か。
自分がいなくなった後、何を残したいのか。
経営者が本当に向き合うべき問いほど、緊急性がありません。
そのため、日常の中では、いつまでも後回しにされてしまうのです。
遍路は「すぐに答えが出ない時間」
四国遍路は、弘法大師・空海ゆかりの八十八の札所を巡る旅です。
一般的に、徳島県は「発心の道場」、高知県は「修行の道場」、愛媛県は「菩提の道場」、香川県は「涅槃の道場」と呼ばれます。
何かを始めようと心を起こし、試練と向き合い、自分を見つめ、最後に執着から離れていく。
この流れは、一人の人間の人生にも、会社経営にも重なります。
歩き遍路の場合、毎日行うことは非常に単純です。
起きる。身支度をする。歩く。札所で手を合わせる。また歩く。食べる。休む。
すぐに結論を出さなければならない会議もありません。
次々と届くメールやチャットに追われることもありません。
歩いている間、経営者は役職や肩書から少し離れます。
売上規模も、社員数も、業界での地位も、遍路道ではほとんど意味を持ちません。
暑ければ汗をかき、雨が降ればぬれ、坂道では息が上がります。
思いどおりに進まないこともあります。
その時間の中で、すぐに答えが出ない問いと一緒に歩くことになります。
普段の経営では、「結論を早く出すこと」が能力として評価されます。
しかし、人生や経営には、すぐに答えを出さない方がよい問題もあります。
歩きながら考え、考えることに疲れたら、ただ歩く。
そうしているうちに、最初に抱えていた問いそのものが変わることがあります。
「同行二人」は、一人であって一人ではない
四国遍路では、「同行二人」という言葉が大切にされています。
遍路道を一人で歩いていても、弘法大師と共に歩いているという意味です。
この考え方を信仰としてどう受け止めるかは、人それぞれでしょう。
しかし、経営者にとっても、「自分は一人で経営しているのではない」と気づくことには大きな意味があります。
経営者は孤独だといわれます。
最終的な判断は、自分で下さなければなりません。
社員には話せないこともあります。
家族へ余計な心配をかけたくないと、悩みを抱え込む方もいます。
しかし、本当に一人だけで会社をつくった経営者はいません。
創業を助けてくれた人。
最初のお客様になってくれた人。
苦しい時期にも残ってくれた社員。
資金を貸してくれた金融機関。
仕事を紹介してくれた取引先。
家庭を支えてくれた家族。
時には、厳しいことを言ってくれた人。
今はもう会えない人の言葉に支えられていることもあります。
「同行二人」という言葉は、目に見えるかどうかにかかわらず、人は多くの存在と共に歩いているということを思い出させてくれます。
会社を自分一人の力で成長させたと思った瞬間、経営者は感謝と謙虚さを失い始めます。
経営者が遍路で取り戻すものの一つは、自分を支えてくれた人たちの記憶なのかもしれません。
『私の同行二人』は、成功物語ではない
四国遍路の意味を考えるうえで紹介したいのが、俳人・黛まどかさんの『私の同行二人――人生の四国遍路』です。
黛さんは、一度目の遍路を父のために、二度目を母のために歩きました。
二度目の旅では、四国八十八ヶ所に別格二十霊場を加えた108札所、約1,600キロを巡っています。
30度を超える暑さ、激しい雨、突然の雪。
転倒によるけがや、山中で道に迷うなど、さまざまな出来事に見舞われます。
それでも、また歩き始めます。
この本は、苦難を乗り越えて大成功した人物の物語ではありません。
出会い、別れ、悲しみ、生と死といった、簡単には答えの出ない問題を抱えながら、ただ歩き続けた記録です。
黛さんは「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしています。
歩くと、普段とは違う思考をたどり、ひらめきが訪れる。つまずくことや道に迷うことも、発想の源になると述べています。
経営者は、道に迷うことを嫌います。
計画どおりに進まないと、不安になります。
しかし、会社経営も実際には、計画どおりに進まないことの連続です。
正しい道を選んだつもりでも、途中で行き止まりになる。
信頼していた人が去る。
大きな投資が成果につながらない。
社会の変化によって、昨日までの正解が通用しなくなる。
そのたびに、経営者は別の道を探し、また歩き始めます。
遍路と経営の共通点は、一度も迷わず目的地へ着くことではありません。
迷い、転び、休みながらも、自分なりの意味を見つけて歩き直すところにあるのでしょう。
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効率を手放すと、本当に大切なものが見えてくる
経営者は、効率を考えることから逃れられません。
限られた人、時間、お金を使い、成果を出す責任があるからです。
しかし、すべてを効率だけで判断すると、大切なものを失うことがあります。
社員との雑談。
取引先へ直接お礼を伝える時間。
若い社員へ技術を教える時間。
地域行事への参加。
すぐに成果が出ない人材育成。
家族と過ごす時間。
これらは、短期的な数字だけを見れば、無駄に感じられるかもしれません。
けれども、長い時間をかけて会社の信用や文化をつくるのは、こうした「効率だけでは測れない時間」です。
四国遍路も、最短距離で目的地へ着くことだけを考えれば、非効率です。
八十八ヶ所を一つずつ巡り、同じように手を合わせ、また次の札所へ向かう。
しかし、その遠回りの中でしか見えないものがあります。
経営者に必要なのは、いつも速く進むことではありません。
今の方向が正しいかを確認するため、時には速度を落とすことです。
お接待から考える「見返りを求めない関係」
四国遍路には、「お接待」という文化があります。
地域の方が遍路へ、食べ物や飲み物、休む場所などを提供することがあります。
お接待は、単なる旅行者向けのサービスではありません。遍路を支えることを通じて、自らも弘法大師への供養に関わるという信仰の背景があります。
経営では、通常、提供した価値に対して対価を受け取ります。
それは当然です。
無料で仕事を続ければ、会社は成り立ちません。
一方で、すべての人間関係を「これをしたら、何が返ってくるか」だけで考える会社は、少し寂しくなります。
すぐに仕事にならなくても、人を紹介する。
困っている取引先へ知恵を貸す。
若い経営者へ経験を伝える。
地域の活動へ協力する。
退職した社員の新しい人生を応援する。
こうした行動は、直ちに売上へつながるとは限りません。
それでも、見返りを急がず誰かを支えた経験は、会社の信用として静かに蓄積されます。
ただし、社員へ無償の奉仕を強いたり、「お互いさま」を理由に正当な対価を支払わなかったりすることは、お接待の精神とは違います。
経営者が自分の意思と責任で、何を社会へ差し出すのか。
そこを間違えてはいけません。
結願は「終わり」ではない
八十八番札所へ到着することを「結願」といいます。
長い道のりを歩いた方にとって、大きな節目でしょう。
しかし、札所を巡り終えただけで、その人の人生が完成するわけではありません。
経営も同じです。
売上目標を達成する。
新社屋を建てる。
社員数が増える。
新しい事業を始める。
後継者へ社長を譲る。
これらは大切な節目ですが、それだけで経営のすべてが完成するわけではありません。
一つの目標へ到達すれば、また次の問いが生まれます。
この成長は、社員を幸せにしているか。
増えた利益を何に使うのか。
次の世代へ何を渡すのか。
会社が大きくなっても、創業時の思いを失っていないか。
結願とは、すべてが終わることではなく、新しい歩みを始める地点なのだと思います。
四国まで行かなければ、問いを取り戻せないのか
すべての経営者が、仕事を長期間休んで四国を歩けるわけではありません。
健康状態や家庭事情によって、歩き遍路が難しい方もいます。
車やバスで巡る方法もありますし、一度にすべて回らず、何回かに分ける「区切り打ち」もあります。
大切なのは、苦労の大きさを競うことではありません。
「歩いた人の方が偉い」という話でもありません。
四国遍路から学べる本質は、日常から少し距離を置き、自分の肩書や思い込みを外し、答えの出ない問いと向き合うことです。
それならば、経営者は日常の中でも始められます。
スマートフォンを置いて、一人で歩く。
毎月一度、仕事を入れない時間をつくる。
創業時からの出来事を書き出す。
これまで支えてくれた人の名前を思い出す。
後継者へ残したいものを言葉にする。
重要なのは、どれだけ遠くへ行ったかではありません。
立ち止まったとき、自分にどのような問いを投げかけたかです。
経営者が遍路へ持っていくべき問い
四国遍路へ向かう経営者がいるなら、成功の答えを求めるより、次のような問いを持って歩いてみてはいかがでしょうか。
- 私は、何を恐れて決断を先延ばしにしているのか
- 会社の成長に必要なものと、自分の見栄を混同していないか
- 社員や家族への感謝を忘れていないか
- もう役割を終えた事業や習慣を、手放せずにいないか
- 自分がいなくなった後も残したいものは何か
- この会社は、誰のために存在しているのか
歩き始めても、すぐに答えは出ないでしょう。
最後まで答えが出ない問いもあるかもしれません。
それでも構いません。
経営者に必要なのは、何でも知っているように振る舞うことではなく、大切な問いから逃げずに歩き続けることです。
四国遍路は、神仏から経営の正解を受け取る旅ではありません。
自分が何を問い、何を手放し、誰と共に歩いてきたのかを確認する旅です。
経営者は一人で決断します。
しかし、一人だけで歩いているわけではありません。
見える人、見えない人、これまで出会った人、これから出会う人。
多くの存在に支えられながら、会社という長い道を歩いています。
「同行二人」。
その言葉を胸に、再び現実の経営へ戻る。
そこに、経営者が四国八十八ヶ所を巡る意味があるのではないでしょうか。
次回は、伊勢神宮を取り上げます。
なぜ多くの経営者が伊勢神宮へ向かうのか。
そこで伝えるべきものは、成功のお願いなのか。それとも、ここまで会社を続けられたことへの感謝と、これからの経営への誓いなのか。
式年遷宮と事業承継、「変わらないために変わり続ける」という視点から考えます。