会社を潰すのは“あの社員”かもしれない ─ 不祥事予防と対応の基本講座 第1回 なぜ“不祥事”は起きるのか? ─ 組織の見えない“穴”

杉山 晃浩

■ 「うちは大丈夫」──その慢心が、会社を危機にさらす

「社長、大変です。情報システム課のAさんが、会社の物品を勝手に売却していたようです」

それは、金曜日の午後、月末処理でバタバタしていたタイミングだった。
東京都内で従業員30人のITベンチャーを経営する田中社長は、突然管理職の佐藤部長からこんな報告を受けた。

最初は「何かの間違いだろう」と思った。Aさんは勤続7年の中堅社員で、真面目で温厚。社内でも信頼されており、新人指導も任せていた存在だ。

ところが調査を進めていくうちに、事態は深刻さを増していく。

  • フリマアプリに出品されていたのは、社用スマホ、未開封のソフトウェア、さらには社内用パソコンの一部部品まで

  • 売上金はすでに私的に利用され、回収困難な状況

  • 同僚からは「以前から怪しいとは思っていた」という証言も

田中社長は混乱した。「なぜもっと早く気づけなかったのか。なぜ誰も止めなかったのか。」

そのとき初めて、「不祥事は突然起きるものではなく、静かに、じわじわと組織に入り込んでくるものだ」と痛感した。


■ 不祥事は「個人の問題」ではない

経営者や管理職の多くは、不祥事が発覚した際に「本人が悪い」と考えがちです。
確かに、行為自体の責任は個人にあります。しかし、その背景にある組織の構造的な問題を見逃すと、再発リスクを抱えたままになってしまいます。

▍よくある誤解

  • 「うちは少人数だから大丈夫」

  • 「信頼できる社員ばかりだから問題ない」

  • 「ルールは就業規則に書いてある」

  • 「うちでは今まで一度もなかった」

これらはすべて思い込みにすぎません。不祥事は、「今までなかった会社」にこそ、最も無防備な形で入り込んでくるのです。


■ 不祥事が起きる“組織の穴”とは?

❶ 組織の“空気”が緩んでいる

「これくらいならいいよね」「誰も見てないから大丈夫」という職場の甘さ
この空気が一人歩きすると、小さな違反が“慣習”として広がります。

❷ 管理が“人任せ”になっている

中小企業では、人員が限られているため「信頼できる社員に任せっぱなし」になりがちです。
業務の属人化が進み、チェック機能が形骸化している状態では、不正を見抜くことは困難です。

❸ ルールがあっても“伝わっていない”

服務規律や誓約書があっても、社員が何に違反すればどうなるかを理解していないケースが多くあります。
特に新卒・若手社員には、「就業規則は読んだことがない」「誓約書は形式的に提出しただけ」という声が少なくありません。

❹ 小さな“異変”を拾う仕組みがない

「最近Aさんの態度が少し変わった」「休憩時間にスマホをずっといじっている」など、
同僚が気づいていても、報告する“場”や“制度”がなければスルーされてしまいます。


■ よくある不祥事のパターンとその背景

分類 よくある事例 背景にある“組織の穴”
金銭の不正 会社の備品を私物化、小口現金の着服 チェック体制がない、現場任せ
情報漏洩 顧客データを無断で持ち出し、転職先に持参 教育不足、USB管理が曖昧
SNS炎上 社内機密をX(旧Twitter)に投稿 私的利用との線引きが不明瞭
ハラスメント 「教育のつもり」がパワハラに認定 管理職の意識不足と曖昧な境界
遅刻・無断欠勤 上司が黙認、周囲も何も言わない 甘やかしとルールの形骸化

■ 不正の三角形 ─ 「起こしたくて起こしたわけではない」

「不正の三角形(Fraud Triangle)」は、不正行為が発生する3つの要素を示した有名な理論です。
これはアメリカの犯罪学者ドナルド・クレッシーによって提唱されたもので、以下の3要素が揃ったときに人は不正を起こすとされています。

① 動機(プレッシャー)

個人が不正に手を染める根本的な“内的動機”です。

  • 生活苦や借金返済

  • 昇進への焦り

  • 家族の病気や学費への不安

  • 評価に対する不満や劣等感

Aさんも、家庭の事情で収入が減り、「どうしようもなかった」と話しています。
このような生活上のプレッシャーが高まると、人は冷静な判断を失いがちです。

② 機会(チェックの甘さ)

人が不正を「やってもバレない」と思ったとき、行動に移る可能性が飛躍的に高まります。

  • 管理職が忙しすぎて現場を見られていない

  • 備品管理が形骸化している

  • 金銭やデータの取扱いが一部社員に集中している

  • 上司が「彼は大丈夫」と思い込んでいる

組織のチェック機能が弱ければ、「つい魔が差した」が現実になります。Aさんも「余っていた備品で誰も気にしていないと思った」と述べています。

③ 正当化(自分なりの言い訳)

「やってはいけないこと」と理解していても、自己内対話の中で**“自分なりの正当化”**が始まります。

  • 「会社の給料は安いし、これくらい当然だ」

  • 「一度だけ、誰にも迷惑をかけていない」

  • 「本当に困っているんだ、仕方ない」

  • 「みんなやっている、俺だけじゃない」

この“心の言い訳”こそが、不正の最終引き金となります。

▍この三角形は“誰にでも当てはまる”

重要なのは、この3要素は、誰の中にも存在しうるということです。
「真面目な人だから安心」と考えるのは極めて危険です。
プレッシャーが増し、周囲の目が薄れ、心の中に言い訳が芽生えた瞬間、誰でも不正に手を染めるリスクがあるのです。


■ 事例解説:Aさんのケースは偶然ではない

冒頭のAさんの行動は、まさにこの「不正の三角形」に当てはまります。

  • プレッシャー:家庭の収入減、妻の療養

  • 機会:備品管理がされておらず、誰もチェックしていない

  • 正当化:「どうせ誰も使ってない」「最初は借りただけのつもりだった」

不正の芽は、日常の中に潜んでいたのです。


■ 経営者がすべき“最初の一歩”

不祥事は、起きてからの対応が大切ですが、それ以前に**「起きないようにする仕組み」**が不可欠です。

✅ 小さな違和感に気づける風土づくり
✅ 規則と罰則の“理解浸透”を重視した教育
✅ 管理職の意識改革と責任自覚
✅ 専門家による定期的な外部チェック

こうした積み重ねこそが、組織の“見えない穴”をふさぎ、不祥事の芽を摘むのです。


■ 次回予告

第2回:「不祥事を未然に防ぐための5つの実務ルール」

次回は、社内制度や職場文化を整備するために「実際にできること」にフォーカスして解説します。
就業規則、誓約書、教育研修、行動指針カードなどを活用し、“抑止力”として機能する制度設計のポイントを紹介します。

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