賞与と社会保険料の知られざる歴史──かつて“節税の王道”だった時代と、企業に忍び寄る制度改変の波
杉山 晃浩
第1期|賞与=企業の味方だった時代(戦前〜昭和中期)
かつて、賞与は「人材へのご褒美」であると同時に、企業にとって極めて効率の良い支給手段だった。昭和30年代までの日本では、賞与に社会保険料がかからないのが一般的だった。
給与は毎月の定額支給であり、保険料の対象になる。だが、ボーナスはあくまで臨時の一時金。労働者にとっては「手取りが多い」、企業にとっては「保険料負担がない」──まさに双方にとって理想的な支給方法であり、急速に広まった。
■具体例:昭和30年ごろのある商社の場合
-
月給:15,000円 → 社会保険料:2,500円前後
-
賞与:50,000円 → 社会保険料:ゼロ
同じ50,000円を給与に上乗せしていたら、労使で合計7,000円近くの保険料が発生していた。それがゼロ。これほど“お得”な制度はなかった。
■国民皆保険後も「賞与非課税」は守られた
1961年に国民皆保険が始まっても、賞与に対する社会保険料は課されなかった。政府は制度拡充を図りつつも、企業活動への急激な影響を避ける姿勢を見せていた。
この“ボーナスに保険料なし”という恩恵は、まさに企業にとって「夢の制度」となり、
-
経営者は賞与を通じて従業員の満足度を上げ
-
社員は「手取りが多いボーナス」に喜び
-
経営効率も高まる という黄金サイクルを形成していた。
しかし──その静かな恩恵の時代は、やがて終焉を迎える。
第2期|制度の転換──国は企業の財布に手を入れ始めた(1970〜1990年代)
昭和47年(1972年)、ついに「厚生年金法」の改正により、賞与にも保険料をかける仕組みが導入された。
この背景には、次のような国の思惑があった:
-
少子高齢化の兆しと年金制度の維持
-
サラリーマン世帯の総所得に占める賞与比率が拡大(平均20〜30%)
-
給与ではなく賞与で報酬を設計する企業が増加し、保険料収入が減る懸念
その結果、賞与にも「標準賞与額」を設定し、年金保険料が差し引かれるようになった。
■経営者の声(当時の業界紙より抜粋)
「ボーナスは頑張った社員への心付けだった。これにまで保険料がかかるとは…」
「税金とは違って、気づかぬうちに経費が膨らんでいく。これは“見えない増税”だ」
この動きは、昭和56年(1981年)には健康保険にも広がり、賞与からの保険料控除が常態化した。
いわば、“税金以外で企業から資金を巻き上げる仕組み”が完成した瞬間であった。
その頃から、特に中小企業では「賞与が重い」という声が増え始める。 経営者は利益を出しても、それを社員に報いた瞬間に、保険料という形で国に持っていかれる。 この構図は、現在まで続いている。
第3期以降|制度の強化と“見えない負担”の時代へ(2000年代〜現在)
平成15年(2003年)、賞与に関する制度はさらに明確化される。
-
保険料率が年々上昇
-
年間150万円までの標準賞与額の上限設定
-
賞与支給時の即時控除義務
これにより、賞与は完全に「税引き前報酬」ではなくなった。
経営者にとって、賞与はもはや“節税の道具”ではなく、 「社会保険料込みで支給総額を設計する負担の重い制度」となり、 資金繰りや財務戦略の再構築が必要となっている。
まとめ:かつての“夢の制度”が、今や“見えない負担”に
かつて賞与は、社会保険料がかからず、
-
労使双方にとって理想的な制度
-
経営上の裁量を活かせる報酬戦略 だった。
だが、今やその面影は薄れ、企業の財布から静かに資金が流出する“社会保険料”という名のコストが、経営を圧迫する時代になっている。
中小企業経営者こそ、この構図を正しく理解し、 「見えないコスト」とどう向き合うかを戦略的に考える必要があるだろう。