人事担当者を悩ませる「時限的措置」の罠:令和7年税制改正がもたらす年末調整の混乱と対応策

杉山 晃浩

手取り増加の裏で、人事担当者が直面する「落とし穴」とは

 

令和7年度税制改正により、所得税の「基礎控除」や「給与所得控除」が見直され、新たに「特定親族特別控除」が創設されました。これらの改正は、多くのサラリーマンにとって手取りが増える朗報として受け止められています。しかし、この一見シンプルに見える変更の裏側で、給与計算や年末調整の実務を担う人事・労務担当者は、これまでになかった複雑な課題に直面しています。

特に、今回導入された**「時限的措置」**は、単なる一度きりの対応では済まない可能性を秘めています。令和7年分の年末調整を乗り切ったとしても、令和8年分以降の再変更を見据えた準備が必要となります。本稿では、人事担当者が直面するであろう実務上の課題を整理し、混乱を避けるための具体的な対応策を解説します。


 

第1章:給与計算を複雑化させる3つの新ルール

 

今回の税制改正は、給与計算のプロセスを根本から見直すことを迫ります。特に重要な3つの変更点を理解することが、正確な給与計算の第一歩となります。

 

1-1. 基礎控除・給与所得控除の見直し

 

最も大きな変更点は、所得控除額の変動です。

  • 基礎控除: 合計所得金額に応じて控除額が変動する仕組みが導入されました。これにより、年収が低い人ほどより大きな控除を受けられるようになりました。

    • 合計所得金額2,350万円以下: 基礎控除額が58万円に引き上げ.

    • 合計所得金額132万円以下: 95万円.

    • 合計所得金額2,350万円超: 控除額の改正はなし.

  • 給与所得控除: 最低保障額が55万円から65万円に引き上げられました。これにより、給与収入が162万5千円以下の場合は、改正前の55万円に対し、改正後では65万円が控除されます.

給与計算担当者は、従業員一人ひとりの年間所得を正確に見積もり、これらの控除額を正しく適用する必要があります。

 

1-2. 新設「特定親族特別控除」とは

 

今回の改正で、新たに特定親族特別控除が創設されました。

  • 対象: 居住者と生計を一にする、年齢19歳以上23歳未満の親族です。

  • 控除額: 親族の合計所得金額に応じて、最大63万円の控除が受けられます。この控除額は、親族の所得が増えるにつれて段階的に減少します。

  • 注意点:

    • 年末調整でこの控除を適用するには、従業員から「給与所得者の特定親族特別控除申告書」を提出してもらう必要があります。

    • 合計所得金額が58万円以下の親族は扶養控除の対象となり、特定親族特別控除の対象にはなりません。

この新しい控除の導入は、従業員への周知と申告書回収の負担を増やす要因となります。

 

1-3. 扶養親族等の所得要件の改正

 

扶養親族や同一生計配偶者などの所得要件も改正されました。

  • 扶養親族・同一生計配偶者: 所得要件が48万円から58万円に引き上げ.

  • 勤労学生: 所得要件が75万円から85万円に引き上げ.

  • ひとり親の生計を一にする子: 所得要件が48万円から58万円に引き上げ.

これにより、令和7年12月1日以降、これまで扶養控除の対象外だった親族が、新たに扶養親族としてカウントされる可能性があります。人事担当者は、従業員にこの変更を周知し、新たな申告書を提出してもらう必要があります。


 

第2章:年末調整の現場が混乱する「2つの壁」

 

今回の改正は、事務処理のタイミングと書類の変更という、人事担当者にとって見過ごせない2つの壁を設けています。

 

2-1. 「令和7年12月」と「令和8年1月」の壁

 

税制改正の適用時期が給与の支払い日によって異なるため、混乱が生じやすくなっています。

  • 令和7年11月までの給与: 従来のルールに従って源泉徴収事務を行います。

  • 令和7年12月1日以降の給与: 新しい扶養親族等の所得要件が適用されます。

  • 令和7年12月の年末調整: 改正後の基礎控除額や給与所得控除額などに基づいて、年間の税額を計算し、従来の源泉徴収税額との精算を行います。

  • 令和8年1月1日以降: 毎月の源泉徴収税額を計算する際に使用する「源泉徴収税額表」が改正されます。

このタイムラグは、給与計算担当者が正確な年末調整を行う上で細心の注意を払う必要があることを意味します。

 

2-2. 従業員への周知と申告書回収の壁

 

新たな控除が創設されたことにより、年末調整で提出する申告書が増加します。

  • 「給与所得者の特定親族特別控除申告書」: 特定親族特別控除の適用を受けるために、従業員は年末調整を行う時までにこの申告書を提出する必要があります。

  • 「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」: 扶養親族等の所得要件改正により、新たに扶養控除の対象となる親族がいる従業員は、この申告書を再提出しなければなりません。

これらの書類は、原則として最後の給与が支払われる日の前日までに提出が必要となりますが、年末調整の際に提出があれば対応が可能です。担当者は、従業員への事前周知を徹底し、スムーズな書類回収を促す必要があります。


 

第3章:人事担当者の負担を増やす「時限的措置」

 

今回の税制改正には、現時点では「時限的措置」とされている部分が含まれており、これが人事担当者の長期的な負担増につながる可能性があります。

 

3-1. 改正内容の一部は「令和7年分限定」

 

給与所得者の基礎控除額の一部は、令和8年分以降で計算方法が変わる可能性があります。これは、現在行われている基礎控除額の加算額が、居住者のみに適用される特例措置であり、令和8年分以後の「源泉徴収税額表」には織り込まれていません。

  • 給与所得者: 年末調整や確定申告でこの特例を適用する必要があります。

  • 公的年金受給者: 令和7年分は12月に精算が行われますが、令和8年分以降の計算方法は別途定められています。

この時限的な変更は、将来的に再びシステムや実務を修正する必要が出てくることを意味します。

 

3-2. 恒久化か、再改正か?政府の動向と今後の展望

 

国税庁は、今後の改正内容や様式変更について、随時ホームページで情報を更新していくと公表しています。これは、人事担当者が継続的に最新情報をキャッチアップし、社内システムや実務マニュアルを常に更新し続ける必要があることを示唆しています。


 

まとめ:改正をチャンスに変える!人事・給与担当者のためのアクションリスト

 

今回の税制改正は、給与計算・年末調整の業務に大きな変化をもたらしますが、これを機会に業務フローを見直すチャンスと捉えることができます。

  • システムベンダーとの連携: 新しい控除項目や計算ロジックに対応するため、システムベンダーとの早期連携は不可欠です。

  • 従業員への情報周知: 社内広報やメール、社内ポータルなどを活用し、従業員に新しい申告書の提出を促しましょう。

  • FAQの作成: 従業員からの問い合わせに備え、Q&A形式で情報をまとめておくと効率的です。

政府が「手取りの増加」という旗を振る裏で、人事担当者の負担が増えることは避けられません。しかし、事前に準備し、情報を共有することで、この混乱を最小限に抑え、スムーズな業務遂行を実現できるはずです。

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