「理念があっても、人は辞める」──社労士が見た“経営と現場の断絶”とは

杉山 晃浩

■ はじめに:理念があるのに、なぜ辞める?

「うちは経営理念をちゃんと掲げていますよ」
経営者の方から、よくこう言われます。

確かに、壁には立派な額縁入りの理念が飾られています。
ホームページにも社長の想いが熱く語られている。
でも現場の社員に聞くと、こんな声が返ってきます。

「理念? そんなの読んだこともないです」
「うちの上司は、理念と真逆のことを言ってきます」
「理念って、結局“きれいごと”でしょ?」

――理念はある。けれど“使われていない”
この状態こそが、社員が辞めていく会社の共通点です。


■ 経営理念は「存在」ではなく「運用」で価値を持つ

経営理念やミッション・ビジョン・バリュー(MVV)は、会社の方向性を示す羅針盤。
ところが実際には、「理念=お飾り」になっている企業が多いのが現実です。

理念が存在すること自体は悪いことではありません。
しかし、理念が“日々の意思決定”や“人事判断”に反映されていないなら、それは無いのと同じです。

  • 採用時に理念を語っていない

  • 面談や評価で理念が登場しない

  • 管理職が理念を知らない

  • 理念と行動評価がつながっていない

こうした状態では、社員は「会社の価値観」を感じ取れません。
その結果、“何をもって良しとするのか”が曖昧になり、
現場は迷い、やがてモチベーションが下がっていきます。


■ 理念が形骸化すると、3つの“ズレ”が生まれる

社労士として多くの現場を見てきた中で、理念が機能していない会社には共通する「3つのズレ」があります。

① 採用のズレ

理念が語られない採用面接では、応募者は「待遇」だけで判断します。
結果として、“価値観の合わない人”が入社し、早期離職につながります。

② 評価のズレ

評価基準が理念と無関係だと、
「理念を体現している社員」よりも「売上だけ出す社員」が評価される。
これでは現場の信頼は崩壊します。

③ 行動のズレ

理念が日常で語られないと、社員は「上司の顔色」で行動するようになります。
部門間の対立、上司依存、責任の押し付け合い──。
こうした職場では定着どころか、人間関係が壊れやすくなります。


■ 「理念不在」企業の典型パターン(社労士が見た現場)

ある製造業の会社では、経営理念に「社員の幸福を追求する」とありました。
しかし、実際には残業時間が月80時間を超え、
人事制度にもワークライフバランスの視点はゼロ。

労務トラブルの原因を探ると、
「理念は立派だが、経営計画や評価制度に反映されていない」ことが根本原因でした。

理念と制度が乖離していると、社員の信頼は失われる。
このズレを放置したままでは、どれだけ待遇を改善しても人は定着しません。


■ 理念を“現場で生かす”ための3ステップ

理念を浸透させるには、特別な研修や高価なツールは不要です。
重要なのは、「理念を社員の行動と結びつける仕組み」をつくること。
そのための3ステップを紹介します。

ステップ① 理念を“言葉”から“行動”に変換する

「お客様第一主義」では抽象的すぎます。
「お客様から“ありがとう”を1日1回もらう行動をする」
のように、行動指針として言い換えることが必要です。

これは就業規則や評価基準にも落とし込むことができます。

ステップ② 面談や会議で理念を話題にする

理念を朝礼で唱和するだけでは浸透しません。
1on1面談や会議の冒頭で「この案件を理念に照らすとどうか?」と問いかける。
“理念で判断する文化”を少しずつ習慣化することが重要です。

ステップ③ 評価・表彰制度に反映させる

行動評価シートに「理念項目」を設定することで、
理念を実際の報酬やキャリアに結びつけることができます。
これにより、理念が“日常の言葉”から“報酬を左右する現実”へと変わります。


■ 理念経営は“労務安定の基礎インフラ”

理念を運用できている会社は、例外なく「労務トラブルが少ない」です。
なぜなら、理念が「判断の基準」として機能しているからです。

  • 懲戒処分の一貫性が保てる

  • 評価や昇進の理由を説明できる

  • 管理職が迷わず判断できる

  • 社員も“会社の正義”を理解できる

つまり理念とは、“経営と労務の共通言語”なのです。
社労士としての私の実感では、理念を仕組み化できている企業ほど、
離職率・トラブル率・採用コストが確実に下がっています。


■ 「理念はあるのに浸透しない」会社へのアドバイス

理念浸透がうまくいかない会社には、次のような共通点があります。

  • 理念が抽象的で、社員が行動に落とせない

  • 経営者が理念を語らなくなっている

  • 評価制度・会議・面談に理念が出てこない

このような場合、いきなり制度改定に走るより、
まずは理念を“使う場”を増やすことから始めるのが現実的です。

理念は“経営者の言葉”であり、“社員の行動指針”です。
両者の間に「仕組み」がなければ、理念は伝わりません。


■ 社労士が提案する“理念を現場に届ける”方法

社労士として企業支援をしていると、
「理念をどう浸透させたらいいか?」という相談が最も多いテーマの一つです。

その解決策の一つが、
「経営人財会議」などの“対話を仕組み化する仕組み”の導入です。

経営人財会議では、
半年に一度、管理職が自部署の人材を共有・議論し、
社員一人ひとりの「強み・志向・価値観」を可視化します。
このプロセスで、理念と人事施策が自然につながるのです。

理念の言葉を“評価や育成の現場で使う”こと。
それこそが理念浸透の最短ルートです。


■ まとめ:「理念は飾るものではなく、使うもの」

人が辞める原因は、給与でも待遇でもなく、「共感の欠如」です。
その共感を生み出すのが、理念。
しかし理念は“掲げるだけ”では意味がありません。
仕組みの中で“使う”ことが、定着と成長を生み出す鍵です。

  • 理念が日常に登場する会社は、採用でも強くなる

  • 理念が評価とつながる会社は、社員が誇りを持つ

  • 理念が会話の中にある会社は、風通しが良くなる

もしあなたの会社が「理念はあるのに人が辞める」と感じているなら、
まずは理念を“運用する仕組み”を見直してみてください。

社労士としてお手伝いできるのは、
理念を制度・会話・評価・育成に結びつける“経営の仕組み化”。
理念を、もう一度「現場に戻す」お手伝いです。

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