人的資本経営は「福利厚生」から始めるもの ― 中小企業が“選ばれる会社”になる現実的な第一歩
杉山 晃浩
第1章|なぜ今、「人的資本経営」が中小企業にも突きつけられているのか
「求人を出しても、反応がない」
「ようやく採用しても、数か月で辞めてしまう」
こうした声は、今や業種・規模を問わず聞かれるようになりました。
かつては、給与や休日といった条件を少し上げれば、一定数の応募は集まりました。しかし現在は、条件を整えても“選ばれない”会社が増えています。
この背景にあるのが、働く側の価値観の変化です。
単に「働けるか」ではなく、「ここで働き続けたいか」「自分を大切にしてくれる会社か」が、無意識のうちに判断されています。
こうした流れの中で注目されているのが「人的資本経営」です。
ただし、多くの中小企業経営者はこう感じているのではないでしょうか。
「人的資本経営は、大企業や上場企業の話だろう」
「うちの規模では関係ない」
しかし実際には、人的資本経営の影響を最も強く受けているのは中小企業です。
なぜなら、中小企業は“人が来ない・辞める”という問題が、そのまま経営リスクに直結するからです。
第2章|「福利厚生=コスト」という誤解が、人材を遠ざけている
福利厚生について経営者と話をすると、次のような言葉をよく耳にします。
「余裕ができたら考える」
「お金がかかるから、うちは無理」
「大企業みたいなことはできない」
これらは一見、もっともらしい判断に見えます。しかし、この考え方こそが、人材を遠ざける大きな要因になっています。
福利厚生を「コスト」と捉えている限り、
・今はやらない
・最低限でいい
という選択になりがちです。
その結果、社員から見た会社の姿はどう映るでしょうか。
「この会社は、人に投資する気がない」
「ここで長く働くイメージが持てない」
福利厚生は、金額以上に会社の姿勢を伝えるものです。
何にお金や手間をかけるのか。
どこまで社員のことを考えているのか。
それが、言葉ではなく“運用”として伝わる分野なのです。
第3章|人的資本経営の正体は「数字」よりも「日常」にある
人的資本経営というと、指標や開示情報を思い浮かべる方も多いでしょう。
しかし、中小企業において重要なのは、数字を並べることではありません。
本質は非常にシンプルです。
社員が、安心して力を発揮できる環境があるか。
これに尽きます。
・意見を言っても大丈夫か
・失敗しても頭ごなしに否定されないか
・自分の将来を考えてもらえているか
こうした日常の積み重ねが、「この会社で働き続けたい」という気持ちを生みます。
人的資本経営とは、
社員を“資源”として使うことではなく、“人”として扱う設計
と言い換えてもよいでしょう。
第4章|お金をかけずにできる福利厚生が、実は一番効く
福利厚生というと、どうしても制度追加をイメージしがちです。
しかし、実務の現場で見ると、社員の不満の多くは「制度がないこと」ではありません。
・ルールがあいまい
・説明がない
・判断基準が人によって違う
こうした“不透明さ”が、不満や不信感を生んでいます。
たとえば、
・休暇の取り方が明文化されていない
・評価の基準が分からない
・相談先がはっきりしていない
これらを整理し、見える形にするだけでも、立派な福利厚生です。
福利厚生は「何を足すか」よりも、
「何を整理し、どう伝えるか」が先なのです。
第5章|心理的安全性は“空気”ではなく“設計”できる
近年よく使われる「心理的安全性」という言葉。
これを「仲が良い職場」「優しい職場」と誤解しているケースも少なくありません。
心理的安全性とは、
安心して発言・相談・行動ができる状態を指します。
逆に、心理的安全性が低い職場では、
・本音を言わない
・問題を隠す
・限界まで我慢して、突然辞める
といったことが起きがちです。
心理的安全性は、精神論ではありません。
ルール、相談ルート、判断基準といった仕組みの設計で大きく左右されます。
ここが整っていないまま「風通しを良くしよう」と言っても、現場は動きません。
第6章|面談は“評価の場”ではなく“福利厚生”である
多くの会社で行われている面談。
しかし、その目的が「評価」だけになっていないでしょうか。
評価中心の面談では、社員は本音を話しません。
無難な回答をし、早く終わることを優先します。
一方、エンゲージメントが高い会社では、面談の位置づけが違います。
・話を聞いてもらえる
・自分の考えを整理できる
・将来について相談できる
こうした体験そのものが、福利厚生なのです。
面談は「管理のため」ではなく、
関係性をつくるための仕組みとして再設計する必要があります。
第7章|制度を作る前に、必ず整理すべき3つのこと
福利厚生や制度を導入する前に、必ず整理しておくべきことがあります。
1つ目は、社員が何に困っているのか。
2つ目は、経営者の“当たり前”が現場とずれていないか。
3つ目は、問題が見えない構造になっていないか。
ここを飛ばして制度を作っても、形だけになり、定着しません。
だからこそ、アンケートや面談などによる「見える化」が重要になります。
第8章|社労士が関与することで、福利厚生は「経営の武器」になる
福利厚生の設計は、実は非常にバランスが難しい分野です。
やり過ぎればコスト負担になり、足りなければ不満が残る。
社労士が関与することで、
・制度と実態のズレを修正できる
・法的リスクを回避できる
・運用まで見据えた設計ができる
といったメリットがあります。
重要なのは、「制度を入れること」ではありません。
使われ、信頼され、続く仕組みにすることです。
終章|「選ばれる会社」は、最初の一歩を間違えない
人的資本経営は、一朝一夕で完成するものではありません。
しかし、何もしなければ確実に“選ばれない会社”になっていきます。
福利厚生は、会社の姿勢が最も伝わる分野です。
だからこそ、最初の一歩として最適なのです。
「何から始めればいいか分からない」
そう感じたなら、まずは現状を整理するところから始めてください。
制度づくりの前に、考えるべきことがあります。
その整理を、専門家と一緒に行うという選択肢もあります。
選ばれる会社になるための第一歩は、
もう、始められるところまで来ています。