手順を飛ばすクセ、確認しないクセ…全部“脳のショートカット”が原因?ヒューリスティック・スリップの恐怖
杉山 晃浩
第1章 なぜ人は“手順を飛ばす”のか──ヒューリスティック・スリップとは?
職場でよく耳にするフレーズがあります。
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「慣れている仕事なのに、なぜミスが?」
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「ベテランなのに、どうして初歩的なことを?」
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「手順書に書いてあるのに、なぜ飛ばすの?」
これらの“謎のミス”には、実は心理学的な理由があります。
その代表例が ヒューリスティック・スリップ(Heuristic Slip) です。
ヒューリスティックとは、
脳が“効率よく判断するための近道”を使うこと
を指します。
しかしこれが過剰になると、
本来やるべき工程や確認を“省略した気になってしまう”のです。
■ ヒューリスティック・スリップが起きる瞬間
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“これはいつもの作業だ”と思ったとき
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慣れや経験に頼りすぎたとき
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時間がない・忙しい・気が急いているとき
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注意が分散しているとき(電話・会話・スマホ通知)
つまり、ヒューリスティックは人間の脳が元々持つ“便利な仕組み”なのですが、
職場においては ヒューマンエラーの温床 になりやすいのです。
第2章 職場で多発する“手順飛ばし・確認漏れ”あるある5選
ヒューリスティック・スリップは、どの業界にも共通する“典型的なパターン”として現れます。
① 慣れた業務ほどチェックを端折る
長年続けてきたルーティン作業ほど、
「大丈夫、毎日やってるから」と思い込みが強まります。
その結果、手順を“見たつもり”“確認したつもり”になります。
② 忙しい時ほど“つい”順番を変える
本来は順番が重要なのに、
「先にこれだけやっとこう」と感じてしまい、リスクが増大します。
③ ベテランが独自ルールで進め、他の人が真似できない
ベテランが勝手に工程を省略するため、
新人や中堅は追随できず、事故の温床になります。
④ 「後でまとめて確認しよう」が“確認漏れ”へ
本来は都度確認が必要な業務でも、
「あとで全部まとめてチェックすればいいや」という過信がミスを招きます。
⑤ 周囲の声がけ・スマホ通知で注意が分散
注意が途切れると、人は飛ばした手順に気づけません。
これは医療・介護・製造など多くの現場で報告されています。
こうした“あるある”は、実はヒューリスティック・スリップの典型例です。
つまり、誰でも起こす可能性があるミスなのです。
第3章 経験豊富な人ほど初歩ミスをする理由──脳科学的メカニズム
不思議なことに、ヒューリスティック・スリップは 新人よりベテランのほうが起こしやすい という特徴があります。
■ 自動化と油断のセット運動
経験が積み重なると、脳は作業を“自動化”します。
自動化は効率的ですが、注意を省略してしまいます。
■ 脳の“補完”による思い込み
脳は「こうなるだろう」という予測に頼ります。
これが“飛ばした工程をやった気になる”原因です。
■ ベテラン特有の「自信」と「リスク軽視」
長年の経験から来る自信は素晴らしいものですが、
確認行為を軽く扱うという危険性もあります。
第4章 ヒューリスティック・スリップが引き起こす“組織の三大リスク”
手順飛ばしや確認漏れが招くのは単なるミスではありません。
組織全体の信頼を揺るがす重大リスクにつながります。
① 安全事故・インシデント
介護現場で多い例:
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投薬間違い
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移乗手順の飛ばし
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福祉用具の固定忘れ
製造現場で多い例:
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機械停止手順の省略
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工具・部品の取り違え
② 情報漏えい・書類ミス
メール誤送信、入力ミス、添付ファイル間違いなどは、
ほとんどが確認漏れ=ヒューリスティック・スリップです。
③ 顧客トラブル・クレーム
“説明したつもり”や“確認したつもり”で対応すると、
後から「聞いていない」「言ってない」につながります。
第5章 チェックリスト・手順書が“形だけ”で終わる理由
ヒューリスティック・スリップを防ぐために、
多くの企業がチェックリストや手順書を運用しています。
しかし、機能していない職場が多いのが現実です。
原因は次の3つです。
① 実態に合っていないから読まれない
現場に即していない手順書は、誰も使いません。
② 古いまま更新されていない
改善されない手順書は、
「やっても意味がない」と感じられます。
③ チェックする目的が理解されていない
チェックが“形式”になり、
本来のリスク防止の意図が伝わっていません。
第6章 ヒューリスティック・スリップに負けない職場を作る3つの処方箋
ここからは、組織改善に直結する実務的な改善策を紹介します。
① “責めない文化”でミスの共有が進む組織へ
ヒューリスティック・スリップは 誰にでも起きる という前提に立ち、
ミスを個人責任にせず、プロセス改善に結びつける文化が必要です。
「なぜできなかったのか」ではなく
「どう改善するか」 が中心になります。
② 手順書を“現場が使える形”にリメイクする
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写真入りの簡易版
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1分で要点が分かるショート手順書
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動画マニュアル
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特に事故リスクの高い工程は図解化
“読まれる手順書”にすることで、手順飛ばしは大幅に減ります。
③ チェックリストを“思考のストッパー”にする
ただの形式ではなく、
「思い込みを止める道具」 として機能させることが重要です。
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声出し確認
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3点確認(対象・方法・結果)
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逆読みチェック(後ろから確認)
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AIやDXによる自動チェック(給与計算・勤怠にも応用可)
第7章 ベテランほど注意すべし──“自動運転モード”を解除する仕組みづくり
ベテランのミスが悪いのではありません。
脳が自動化しすぎていることが問題です。
そのために必要なのが“自動運転モードの解除”です。
■ 効果的な方法
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毎月のショート研修(5分でOK)
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新しい視点を得るワーク(他職種とのローテーション)
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1on1で最近の気づきを共有
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役割交換でマンネリ打破
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若手とのペア作業で視点の相互補完
これにより、慣れによる油断が減り、
ヒューリスティック・スリップの発生確率が大きく下がります。
第8章 具体的事例──ヒューリスティック・スリップからの復活ストーリー
● 介護現場の成功例
薬の取り扱いミスが続いた施設で、
写真付き手順書+ダブル確認 を徹底したところ、
3ヶ月でヒヤリハットが70%減少しました。
● 製造業の成功例
手順飛ばしに悩んでいた工場が、
「声出し確認」+「赤シールで危険工程の可視化」 を導入。
ベテランのミスも劇的に減少しました。
● 事務職の成功例
メール誤送信が多発する企業が、
送信前チェックリストの“逆読み” を導入。
たったこれだけで誤送信がほぼゼロに。
第9章 まとめ──“脳のショートカット癖”をコントロールできる会社は強い
ヒューリスティック・スリップは、
人間が持つ当たり前の特性です。
悪いのは“人”ではなく“仕組み”です。
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ミスを責める文化では改善しない
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手順飛ばしは本人の意思ではなく脳の構造
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仕組み化と可視化がヒューマンエラーを防ぐ
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ベテランほどチェックが必要
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事故ゼロの組織は“当たり前の質”を高めている
慣れた仕事ほど丁寧に行える仕組みを持つ会社は、
事故が減り、人が育ち、顧客から信頼され、
結果的に 強い組織 になります。
脳のショートカット癖を味方にできるかどうか。
それが、これからの組織力を左右するのです。