なぜ経営者は伊勢神宮へ行くのか――お願いではなく「感謝と誓い」を伝える参拝
杉山 晃浩
これまで私は、5回ほど伊勢神宮を参拝しています。
参拝するたびに御朱印を受け、お神札を授かってきました。
中でも、私が心地よいと感じるのが、内宮を流れる五十鈴川です。
宇治橋を渡って参道を進み、五十鈴川の御手洗場へ下りる。澄んだ流れに手を浸すと、冷たい水の感触とともに、気持ちが静かになっていきます。
伊勢神宮の公式サイトには、御手洗場では手水舎と同じように手を濯ぎ、身も心も清めてから参拝すると紹介されています。
水に触れたからといって、経営課題が解決するわけではありません。
売上が増えるわけでも、人が採用できるわけでも、難しい人事問題の答えが降りてくるわけでもありません。
それでも、日常の慌ただしさから離れ、五十鈴川の流れに手を浸す時間には、経営者にとって大切な意味があるように思います。
なぜ、多くの経営者は伊勢神宮へ向かうのでしょうか。
成功をお願いするためでしょうか。
事業繁栄の特別な力を授かるためでしょうか。
私には、伊勢神宮が「何かをもらいに行く場所」というより、ここまで会社を続けられたことに感謝し、これから果たす責任をもう一度確認する場所のように感じられます。
伊勢神宮では、社長も一人の人間に戻る
会社の中で、経営者は最終決定者です。
何を始め、何をやめるのか。
誰を採用し、誰に仕事を任せるのか。
利益を何に使うのか。
問題が起きたとき、どのような責任を取るのか。
最後は経営者が決めなければなりません。
社員や取引先の前では、不安を見せられないこともあります。
本当は迷っていても、決断に自信があるように振る舞わなければならない場面もあるでしょう。
しかし、伊勢神宮の長い参道を歩いているときは、会社の規模も、売上も、役職も関係ありません。
大きな木々に囲まれ、玉砂利を踏みしめながら進むと、自分も長い時間の中に生きる一人の人間にすぎないことへ気づかされます。
会社では「社長」と呼ばれていても、神前では一人の参拝者です。
経営者が伊勢神宮で取り戻すものの一つは、この感覚なのではないでしょうか。
自分は何でもできるわけではない。
自分一人の力で会社を経営してきたわけでもない。
社員、お客様、取引先、地域、家族など、多くの人に支えられて今がある。
それを思い出せば、自然に感謝が生まれます。
謙虚になることは、経営者としての自信を失うことではありません。
自分の力と、自分以外の力を正しく見分けられるようになることです。
伊勢神宮で何をお願いするのか
経営者が伊勢神宮を参拝するとき、商売繁盛や事業成功、社員の安全などを願うことがあるでしょう。
お願いをすること自体が、悪いわけではありません。
伊勢神宮の公式サイトでも、御祈祷は大御神への感謝と真心を表し、家内安全や心願成就などを祈るものとして案内されています。
ただし、経営者が、
「売上を上げてください」
「競合会社に勝たせてください」
「この投資を必ず成功させてください」
とお願いするだけでは、経営責任を神様へ預けることになりかねません。
私は、お願いより先に報告することが大切だと思います。
会社をここまで続けることができました。
社員が働いてくれています。
お客様が私たちを選んでくださいました。
取引先や専門家が支えてくれました。
家族が経営者としての私を支えてくれました。
まず、そうした事実に感謝する。
そのうえで、
「これからも社員とお客様を大切にします」
「先延ばしにしてきた問題へ向き合います」
「目先の利益だけで判断しません」
「次の世代へ、よりよい会社を引き継ぎます」
と誓う。
参拝を終えた後、この言葉に沿って現実の行動を変える。
そこまで含めて、経営者の祈りになるのではないでしょうか。
五十鈴川で清めるものは、手だけではない
五十鈴川は、「御裳濯川」とも呼ばれています。
伊勢神宮の公式サイトによれば、倭姫命が御裳のすそを濯いだことから、その名が伝えられているそうです。
内宮の御手洗場には石畳が敷かれ、五十鈴川の澄んだ流れで手を濯ぐことができます。
私は、この時間がとても気持ちよいと感じます。
もちろん、これは私個人の感覚です。
川の水に手を浸したことで、経営判断が正しくなると断定するつもりはありません。
しかし、「清める」という行為を経営に置き換えてみると、考えさせられるものがあります。
経営者の頭の中には、日々さまざまなものがたまります。
売上への焦り。
社員への不満。
競合会社への対抗心。
過去の成功体験。
失敗を認めたくない気持ち。
自分をよく見せたいという見栄。
これらが悪いとは限りません。
危機感があるから努力できることもありますし、悔しさが次の挑戦を生むこともあります。
しかし、焦りや見栄に支配されたまま重要な判断をすると、本当に守るべきものを見失うことがあります。
自社のためになるという理由で、取引先へ無理を押しつける。
短期的な利益を守るために、社員の負担を放置する。
間違いに気づいているのに、過去の判断を撤回できない。
五十鈴川で手を清めることは、こうした感情や執着を一度脇に置く、小さな区切りになるのかもしれません。
経営者が清めるべきものは、手の汚れだけではありません。
判断を曇らせる焦り、欲、恐れ、思い込みも、時には洗い流す必要があります。
お神札と御朱印は「成功の道具」ではない
私は、伊勢神宮を参拝した際に、お神札を授かり、御朱印も受けてきました。
伊勢神宮では、お神札やお守りを、神宮と人を結ぶ大切な絆として授与しています。御朱印も、参拝の証として受けるものです。
お神札を会社や自宅にお祀りすることを、「事業が必ず成功するための道具」と考えてしまうと、本来の意味から離れてしまうように思います。
お神札を見るたびに、参拝したときの感謝や誓いを思い出す。
御朱印帳を開いたときに、そのとき自分が何を考え、何を決意したのかを振り返る。
そのように考えれば、お神札や御朱印は、経営者が自分の姿勢を確認するきっかけになります。
会社へ戻ると、参拝中の静かな気持ちは、あっという間に日常へ埋もれてしまいます。
電話が鳴り、メールが届き、社員から相談を受け、予定外の問題が起きます。
だからこそ、参拝の記憶を日常へ持ち帰るものが必要なのかもしれません。
大切なのは、お神札を授かったことに安心するだけではなく、神前で誓ったことを実行できているかを問い直すことです。
2千年続く場所から、経営者が学べること
企業の平均寿命や事業承継が話題になる中で、伊勢神宮は非常に長い時間、信仰と祭りを受け継いできました。
もちろん、神宮と一般企業をそのまま比較することはできません。
それでも、長く続く組織や文化について考えるとき、学べることがあります。
長く続くために必要なのは、何も変えないことではありません。
反対に、時代に合わせて何でも変えてしまうことでもありません。
何のために存在するのか。
絶対に守るべきものは何か。
時代に合わせて変えるべきものは何か。
それを見分け、次の世代へ伝えることです。
会社でも、創業者の思いを守ることと、創業当時の仕事の進め方をすべて残すことは違います。
お客様を大切にする姿勢は守る。
しかし、お客様との連絡方法は変える。
職人の技術は守る。
しかし、若い世代への教え方は変える。
地域との信頼は守る。
しかし、採用や情報発信には新しい仕組みを取り入れる。
守るべきものを守るために、変えるべきものを変える。
この考え方を、伊勢神宮の式年遷宮は象徴しているように思います。
式年遷宮は、完成品だけを残さない
伊勢神宮では、20年に一度、社殿、御装束、神宝などを新しくし、大御神に新しい宮へお遷りいただく式年遷宮が行われます。
その制度は約1300年前に始まり、2013年には第62回が行われました。現在は、2033年秋の第63回式年遷宮に向けた祭りや行事が始まっています。
式年遷宮の重要な意味の一つは、建物や品物だけでなく、それをつくる技術まで次の世代へ継承できることです。
完成した社殿を大切に保存するだけでは、つくり方を知る人がいなくなる可能性があります。
一定の周期で実際につくり直すからこそ、経験を持つ人が若い人へ技術を伝えられます。
これは、中小企業の事業承継にも通じます。
社長が完成した会社を後継者へ渡すだけでは、経営は継承できません。
どのようにお客様との信用を築いてきたのか。
どの数字を見て判断しているのか。
問題が起きたとき、誰に相談するのか。
社員のどこを見て役割を任せるのか。
何を断り、何を引き受けるのか。
こうした判断の過程は、決算書や業務マニュアルだけでは伝わりません。
現経営者と後継者が一緒に経験し、対話し、時には失敗しながら引き継ぐ必要があります。
技術継承も同じです。
「見て覚えろ」と言いながら、重要な仕事は熟練者がすべて抱えている会社があります。
それでは、若い社員へ技術が移りません。
ベテランが元気なうちに、実際の仕事を任せ、横で支え、失敗から学ばせる必要があります。
事業承継は、社長の椅子を譲る日から始まるものではありません。
式年遷宮のように、何年も前から準備し、人と技術と精神を一緒に渡していく仕事なのです。
「常若」という経営
式年遷宮を語るとき、「常若」という言葉が使われます。
常に若々しい、という意味です。
伊勢神宮は、古いものをそのまま朽ちるまで残すのではなく、繰り返し新しくすることで、古くからの祭りと精神を未来へつないでいます。
最も古く、最も新しい。
これは、企業経営にとっても魅力的な考え方です。
長く続いている会社が、古い会社とは限りません。
理念や信用を守りながら、商品、技術、働き方、情報発信を更新し続ける会社は、何十年たっても若々しさを保てます。
反対に、創業から数年しかたっていなくても、過去の成功体験に固執し、変化を拒めば、会社は急速に古くなります。
経営者が守るべきものは、昔の形そのものではありません。
その形の中に込められていた目的や精神です。
目的を守るために、形を変える。
この視点を持てるかどうかが、100年続く会社と、途中で止まる会社の違いになるのかもしれません。
『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』
伊勢神宮と日本人の生き方を考えるうえで紹介したいのが、吉川竜実さんの『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』です。
著者は、伊勢神宮に30年間奉職した神官です。
この本では、神道を難しい教義として説明するのではなく、日本人の文化、暮らし、日常の中に根づいた生き方としてひもといています。
神道の基本である祓いと清め。
参拝とは何か。
当たり前の日々を大切にすること。
今をどう生きるかが、未来をつくるという考え方。
これらは、経営者にも通じるテーマです。
経営者は、会社の未来を考え続けます。
しかし、未来は、特別な日に突然つくられるものではありません。
社員へどのような言葉をかけたか。
お客様との約束を守ったか。
問題から逃げずに向き合ったか。
感謝を言葉にしたか。
今日の小さな判断と行動が積み重なり、会社の未来になります。
伊勢神宮へ参拝する予定がある方は、訪れる前に読むのもよいでしょう。
すでに参拝したことがある方なら、自分が境内で感じたことを振り返りながら読むことができます。
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参拝後の行動までが「経営者の祈り」
伊勢神宮を参拝すれば、会社が必ず成功するわけではありません。
お神札を授かれば、経営判断を間違えなくなるわけでもありません。
御朱印の数が増えれば、経営者として立派になるわけでもありません。
大切なのは、参拝を終えた後に何をするかです。
五十鈴川で手を清めたとき、何を手放そうと思ったのか。
神前に立ったとき、誰への感謝を思い出したのか。
会社へ戻ったとき、どの問題へ向き合うと決めたのか。
社員へ、どのような言葉をかけるのか。
次の世代へ、何を残すのか。
伊勢神宮は、経営の正解を教えてくれる場所ではないのかもしれません。
しかし、経営者が、自分の原点と責任を思い出す場所にはなります。
お願いをする前に、感謝を伝える。
成功を求める前に、自分の役割を確認する。
変わらない理念を守るために、変えるべきものを変える。
そして、神前で誓ったことを、日々の経営で実践する。
それが、経営者が伊勢神宮へ向かう意味ではないでしょうか。
私は次に伊勢神宮を訪れるときも、五十鈴川の御手洗場へ下り、澄んだ水に手を浸したいと思います。
そのとき、自分が何を守り、何を変えようとしているのか。
経営者として、誰への感謝を忘れていないか。
静かな流れに触れながら、もう一度、自分自身へ問いかけてみたいと思います。
これで、「神頼みではない『経営者の祈り』」を考える全3回の連載は終わります。
神社で祈ること。
四国遍路を歩くこと。
伊勢神宮を参拝すること。
形は違っても、共通しているのは、神仏へ経営責任を預けることではありません。
日常から少し離れ、感謝と使命を思い出し、再び現実の経営へ戻ることです。
祈りによって心を整え、行動によって会社を変える。
そこまでが、経営者の祈りなのだと思います。