選択制DCで住民税非課税世帯に?──理論上の可能性と実務上の落とし穴
杉山 晃浩
1. はじめに
最近、従業員から「住民税非課税世帯になれる方法はありますか?」という質問を受ける人事労務担当者が増えています。特に、母子家庭や単身世帯でパート勤務をしている従業員からは「少しでも生活を楽にしたい」という切実な声があがることもあります。
このとき、従業員が注目するのが 「選択制企業型確定拠出年金(以下、選択制DC)」 です。給与から掛金を拠出すれば所得控除となるため、「課税所得を減らして非課税世帯に入れるのでは?」と考えるのは自然な流れです。
果たして、選択制DCを使って住民税非課税世帯を“作る”ことは可能なのでしょうか。本記事では、非課税世帯の要件とDCの仕組みを整理したうえで、理論上の可能性と実務上のリスクを解説します。人事労務担当者が従業員に説明できるよう、分かりやすくまとめました。
2. 住民税非課税世帯とは
「住民税非課税世帯」とは、世帯員全員が住民税の所得割と均等割の両方が課税されない状態を指します。非課税世帯と判定されると、医療費・教育費・各種給付金など、多くの優遇措置を受けられるため、注目されやすい制度です。
主な非課税基準
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単身世帯:合計所得金額45万円以下(給与収入換算 約100万円以下)
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本人+扶養1人(母子家庭など):合計所得金額135万円以下(給与収入換算 約204.4万円以下)
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本人+扶養2人:合計所得金額175万円以下(給与収入換算 約255万円程度)
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特例(障害者・未成年・寡婦/夫):合計所得金額125万円以下(給与収入換算 約204万円以下)
※合計所得金額とは「給与収入 - 給与所得控除(最低55万円)」で算出されます。
非課税判定は 前年の所得で行われるため、今年の収入や掛金が反映されるのは翌年度の住民税です。
3. 選択制DCが与える影響
選択制DCでは、従業員が自らの給与の一部を掛金として拠出します。
DC拠出による効果
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掛金分は 所得控除の対象
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住民税・所得税の課税所得を直接下げられる
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その結果、非課税世帯の基準に近づく可能性がある
一方で、注意すべき点もあります。
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社会保険料の標準報酬月額は控除前の給与で計算されるため、保険料は下がらない
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拠出額が大きいほど、手取り収入は減る
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最低賃金割れを起こさないように設定しなければならない
つまり、DCは「課税所得を調整できる制度」であるものの、「社会保険や生活費」には直接プラスの影響はありません。
4. 理論的には可能なシナリオ
では、実際に選択制DCで非課税世帯を目指すことは可能なのでしょうか。
例:母子家庭・パートタイマー
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月120時間勤務(宮崎県の最低賃金 952円 × 120時間 = 月収114,240円)
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年収:約137万円
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扶養1人の場合、非課税基準は合計所得135万円以下(給与収入換算で約204.4万円以下)
この場合、すでに収入が非課税基準以下である可能性が高く、DCを利用するまでもなく「非課税世帯」に該当することがあります。
逆に、年収が基準を少し上回るケースでは、選択制DCの掛金を増やすことで、合計所得を基準以下に下げ、翌年度に非課税判定を受ける可能性はあります。
つまり、**「理論的にはDCで非課税基準に届かせることは可能」**といえます。
5. 実務上の落とし穴
しかし、人事労務担当者として社員に伝えるべきなのは「理論」と「現実」の違いです。
① 判定は前年所得ベース
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今年の掛金調整は、翌年度の住民税にしか影響しません。
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すぐに非課税世帯になれるわけではないため、従業員の期待とズレが生じます。
② 最低賃金割れのリスク
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宮崎県の2025年9月最低賃金は952円。
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掛金を増やすことで実質時給がこれを下回ると、法令違反になる可能性があります。
③ 社会保険加入条件との両立
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月120時間以上かつ月収114,240円以上が社会保険加入条件。
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DC掛金によって実収入が減っても、資格要件は控除前給与ベースで判定されるため、混乱を招きやすい。
④ 生活への影響
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掛金を増やせば当然手取りが減ります。
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非課税になる代わりに生活資金が不足し、結果的に従業員が困窮するリスクも。
⑤ 自治体判定の複雑さ
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控除や扶養の扱いは自治体によって微妙に異なることがあります。
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「DCを増やしたら必ず非課税になる」とは断言できません。
6. 人事労務担当者としての対応ポイント
従業員から「選択制DCで非課税になれますか?」と質問を受けた場合、以下の流れで対応すると安全です。
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基準の確認
→ 前年の収入、扶養人数、控除状況を整理する。 -
試算の実施
→ DC掛金を増やした場合の所得を計算してみる。 -
自治体への確認を案内
→ 最終的な判定は市町村の税務課が行うため、社員本人に確認を依頼する。 -
リスクを伝える
→ 「理論上可能でも、生活費や最低賃金・社保資格との関係から現実的には難しい」ことをしっかり説明。
7. まとめ
選択制DCを利用して住民税非課税世帯を目指すことは、理論的には可能です。しかし、実際には以下のような制約があります。
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判定は前年所得であり即効性はない
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最低賃金割れや社会保険資格との兼ね合いが必要
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掛金増額は手取り減少を招き、生活リスクを伴う
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自治体によって基準が異なるため、最終判断は必ず税務課
人事労務担当者としては、「制度としての仕組みを正しく理解しつつ、従業員に過度な期待を抱かせないこと」が求められます。
結論として、「選択制DCで非課税世帯を作る」という発想は理論的には成り立ちますが、実務上はリスクが多く、現実的な手段とは言えません。
むしろ、人事労務の役割は「社員に正しい制度理解を促し、誤解を防ぐこと」にあります。