モームリ捜索で浮かび上がった“非弁リスク”──人事担当者が誤解しやすい退職代行の落とし穴
杉山 晃浩
第1章 モームリ事件で何が起きたのか
2025年10月、退職代行サービス「モームリ」を運営する株式会社アルバトロス(東京都品川区)などに、警視庁が弁護士法違反(非弁行為)容疑で家宅捜索を行ったというニュースが報じられました。
報道によると、同社は退職希望者を弁護士に紹介し、紹介料名目で報酬を得ていた疑いが持たれています。さらに、退職に関して企業側と交渉を行っていた可能性もあるとのことです。
モームリの公式サイトでは、「24時間365日対応」「退職率100%」「累計4万件以上の退職を成立」と謳われていました。料金は正社員で2万2千円。
このように、退職代行は若者を中心に広く利用されるサービスとなっていましたが、その裏で法律の“越境”が起きていたとみられます。
今回の事件をきっかけに、企業側──とくに人事担当者も「退職代行から連絡が来たとき、どう対応すべきか」を再考する必要があります。
なぜなら、対応の仕方を誤ると、企業自身が非弁行為に関与したと誤解されるリスクがあるからです。
第2章 そもそも「非弁行為」とは何か?
退職代行問題の根底にあるのが、弁護士法第72条の規定です。
弁護士でない者は、報酬を得る目的で、法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱ってはならない。
ここで言う「法律事件」とは、民事・刑事・行政など広く法律上の権利義務に関わる事案を指します。
つまり、“お金の交渉”や“退職条件の調整”のような行為は、弁護士しかできないのです。
一方で、「退職の意思を伝えるだけ」であれば、単なる“事実の伝達”であり、法律事務ではありません。
この“伝達”と“交渉”の境界線こそが、退職代行をめぐる最大の論点です。
第3章 退職代行サービスの合法ラインと違法ライン
(1)合法なケース
退職代行業者が本人の意思を伝えるだけであれば、弁護士法違反にはなりません。たとえば:
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「○○さんが退職を希望されています」と伝える
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本人の作成した退職届を会社へ送付する
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書類の受け渡し方法を調整する
このような単純な伝達行為は、「代理権の範囲内」として認められています。
また、本人の意思が明確に確認できる場合は、退職の意思表示自体も有効です。
(2)違法のおそれがあるケース
一方で、次のような行為は非弁行為に該当する可能性が高いとされます。
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「退職日は○月○日にしてください」と退職日の調整交渉をする
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「残業代を支払ってください」「有給を買い取ってください」と金銭交渉を行う
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「弁護士が関与している」と誤認させる説明をする
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弁護士を紹介し、報酬を得る(紹介料ビジネス)
これらはすべて、「法律事件に関する代理・仲裁」に該当し、弁護士以外が行えば弁護士法72条違反になります。
特に紹介料の授受については、弁護士法第27条が明確に禁止しています。
弁護士は、その業務に関して、弁護士でない者に報酬を分配してはならない。
つまり「紹介料」という名目でも、弁護士業務と一体化していれば違法です。
この点がモームリ事件の焦点になっています。
第4章 人事担当者が陥りやすい3つの誤解
退職代行から連絡を受けたとき、人事担当者がつい誤った対応をしてしまうケースが多く見られます。
ここでは特に注意すべき3つの誤解を挙げます。
①「退職代行からの連絡には必ず従わなければならない」
→ ×:退職代行からの通知だけでは、法的効力は限定的です。
退職の意思表示自体は代理でも有効ですが、「本人の意思かどうか」が曖昧な場合は確認が必要です。
本人名義の退職届を求めることが最も安全です。
②「代行業者と話した方が早く解決する」
→ ×:交渉に応じることは、非弁行為に“加担”するリスクを伴います。
退職日・有給消化などの条件調整は、必ず本人と書面で行うこと。
代行業者からの電話やSNSでのやりとりは避けましょう。
③「弁護士が関与しているなら安心」
→ ×:名刺やメールに“弁護士監修”と書かれていても、実際の関与が確認できないケースがあります。
不安な場合は、弁護士の登録番号を弁護士会で確認することが可能です。
また、弁護士事務所名を使った“便乗商法”にも注意が必要です。
第5章 企業が取るべき正しい対応プロセス
退職代行から連絡を受けた際、人事担当者が行うべき対応を整理しておきましょう。
① 本人の意思確認を行う
まず、退職代行からの通知が届いた場合でも、本人の意思確認が第一です。
本人のメールアドレス宛に「ご本人の意思で間違いありませんか」と確認を入れるか、署名入りの退職届を求めましょう。
② 書面でのやり取りを徹底する
退職届受理通知や離職票の送付など、法定書類は書面ベースで対応します。
口頭やSNSでのやり取りは誤解のもとになります。
③ 交渉には応じない
退職日・有給消化・賃金精算などの要求があっても、代行業者とは交渉しないこと。
「これらは本人と直接ご連絡ください」と伝え、書面対応に切り替えます。
④ 社内対応フローを整備する
退職代行連絡を受けたときに慌てないために、社内マニュアル化をお勧めします。
| ステップ | 内容 | 担当 |
|---|---|---|
| 1 | 退職代行からの連絡内容を記録 | 総務 |
| 2 | 本人意思を確認 | 人事 |
| 3 | 書面送付・退職届受理 | 人事 |
| 4 | 貸与物返却・清算 | 現場責任者 |
| 5 | 記録保管 | 総務・顧問社労士 |
また、顧問社労士や顧問弁護士に早めに相談することで、トラブルを未然に防ぐことができます。
第6章 法的根拠と実務上の参考条文
退職代行対応に関わる主要な法令は次の通りです。
| 法令 | 内容 | 対応のポイント |
|---|---|---|
| 弁護士法第72条 | 弁護士以外による法律事務の取扱い禁止 | 非弁行為の基本根拠 |
| 弁護士法第27条 | 弁護士と非弁者の報酬分配禁止 | 紹介料ビジネス禁止 |
| 労働契約法第16条 | 退職の意思表示は2週間前までに通知 | 退職日の調整に注意 |
| 行政書士法第1条の2 | 官公署提出書類の作成代理 | 行政手続き支援は可 |
| 社会保険労務士法第2条 | 労働社会保険手続きの代理 | 労務管理相談は可 |
特に重要なのは、退職は「民事上の契約解消行為」であり、条件調整=交渉行為に当たる点です。
弁護士以外がこれを行うと弁護士法違反となるため、企業側も不用意に応じない姿勢が求められます。
第7章 まとめ:退職代行は“敵”ではなく、リスク管理の対象
退職代行という仕組み自体が悪いわけではありません。
「職場で言い出せない」「精神的に追い詰められている」などの理由から、退職代行に助けられる人も確かに存在します。
しかし、企業としては、その裏に法的リスクや虚偽表示が潜んでいる可能性を認識する必要があります。
退職代行を敵視するのではなく、冷静に“正しい距離感”を持って対応することが重要です。
非弁リスクを防ぐためのキーワードは
「記録」―すべてを文書化すること。
「確認」―本人意思を必ず確認すること。
「分担」―専門家と役割を分けること。
モームリ事件は、退職代行ブームの陰に潜む「法令遵守」の重みを社会に問いかけた出来事です。
人事担当者に求められるのは、感情ではなく法に基づいた冷静な判断。
退職代行に振り回されない企業ほど、結果として信頼を得る時代になってきています。