会社にも「いるだけで元気になる場所」が必要だ――舩井幸雄の『にんげん』に学ぶイヤシロチ経営
杉山 晃浩
なぜか、足を踏み入れただけでホッとする会社があります。
社員が自然に挨拶をしてくれる。職場がきれいに整えられている。忙しく働いていても、どこか明るさがある。社員同士の会話からも、安心感が伝わってきます。
一方で、玄関に入った瞬間、空気の重さを感じる会社もあります。
誰も目を合わせない。挨拶をしても返事が小さい。書類や備品が乱雑に置かれ、社員が経営者の顔色をうかがっている。
同じ「会社」という場所でありながら、なぜこれほど違うのでしょうか。
その理由を考えるヒントになるのが、舩井幸雄さんが重視していた「イヤシロチ」という考え方です。
イヤシロチは、一般的な経営書ではあまり見かけない言葉です。そのため、スピリチュアルな話や特別なパワースポットの話だと思われるかもしれません。
しかし、この考え方を会社経営に置き換えてみると、職場環境、人間関係、採用、定着、社員の意欲など、現在の中小企業が抱える問題と深くつながっていることが分かります。
今回は「経営指導の神様」と呼ばれた舩井幸雄さんが、なぜ「場」を大切にしたのか。そして、会社を人が元気になるイヤシロチへ近づけるために、経営者は何ができるのかを考えてみます。
イヤシロチとは何か
イヤシロチは、漢字では「弥盛地」と表されます。
一般的には、そこにいる人や動植物が元気になり、心地よく過ごせる場所という意味で使われています。
その反対に、人が疲れやすくなったり、気持ちが落ち込んだりしやすい場所を「ケガレチ」と呼ぶことがあります。
このような場所の作用については、さまざまな考え方があり、科学的に明確な結論が出ているものばかりではありません。
したがって、「この土地には特別な力がある」「ここへ行けば必ず健康になる」と断定するのは適切ではないでしょう。
それでも、私たちが場所によって気分の違いを感じることは確かです。
緑の多い公園を歩くと、気持ちが落ち着く。散らかった部屋に長くいると、集中しにくい。怒鳴り声が聞こえる職場では、体が緊張する。光が入り、風通しのよい部屋では、前向きな気持ちになる。
こうした経験は、多くの方にあるのではないでしょうか。
つまり、イヤシロチを特別な現象として捉えなくても、
人が安心し、本来の力を発揮しやすくなる環境
と考えれば、会社経営にも応用できます。
舩井幸雄さんは、なぜ熱海の山中へ移ったのか
舩井幸雄さんは、2003年に大都会の東京を離れ、熱海の山中に住居を構えました。
その建物が、現在の舩井幸雄記念館「桐の家」です。
記念館の周囲には樹木が茂り、小川のせせらぎや鳥の声が聞こえます。相模湾を望むことができ、富士山が見える十国峠にも近い場所です。
舩井幸雄記念館の公式サイトでは、この場所を「自然が満喫できるイヤシロチ」と紹介しています。
舩井さんは、かねてから「自然に勝るものはない。そして、人間も自然の一部なのだから、自然の摂理にしたがって生きるのがよい」という考えを伝えていました。
東京から熱海への転居は、単に静かな老後を過ごすためではなかったのでしょう。
自らが大切にしてきた考え方を、最後の住まいによって実践したものだったのではないかと思います。
私は先日、この舩井幸雄記念館を訪問しました。
庭には、富士山の形をした石やストーンサークルがあります。館内には、舩井さんの愛用品、原稿、著書、愛読書、講演資料、数多くの色紙などが展示されています。
しかし、記念館の魅力は、展示物を見ることだけではありません。
樹木に囲まれた庭を歩くこと。周囲の音を聞くこと。舩井さんが実際に暮らしていた部屋を見ること。その場所で、舩井さんが晩年に何を考えていたのかを想像すること。
文字で「イヤシロチ」と読むのと、実際にその場所へ身を置くのとでは、やはり感じ方が違います。
会社にも「イヤシロチ」と「ケガレチ」がある
会社を訪問したとき、建物は古くても、不思議と居心地のよい会社があります。
反対に、新しく立派なオフィスでも、長くいたくないと感じる会社があります。
この違いは、建物の新しさや内装にかけた金額だけでは説明できません。
会社という「場」は、そこで働く人たちの言葉、表情、態度、習慣によってつくられているからです。
例えば、次のような職場は、イヤシロチに近い会社といえるでしょう。
- 気持ちのよい挨拶が交わされている
- 「ありがとう」という言葉が多い
- 困ったときに相談できる
- 失敗を隠さず、次の改善に生かせる
- 机や共有スペースが整理されている
- 社員の長所や努力を認めている
- 経営者が社員の話を聞いている
- お客様や取引先を大切にしている
反対に、次のような状態が続けば、職場はケガレチのようになってしまいます。
- 社員同士の悪口や陰口が多い
- 社長や上司の機嫌によって空気が変わる
- 失敗した人を皆の前で責める
- 意見を言うと損をする
- 物や情報が整理されていない
- 一部の社員だけが優遇されている
- 頑張っても感謝されない
- 退職した社員を裏切り者のように扱う
このような会社では、社員は仕事そのものよりも、周囲に気を使うことにエネルギーを消費します。
「今日は社長の機嫌が悪くないだろうか」
「余計なことを言わない方がよいだろう」
「失敗が知られたら、何を言われるだろう」
こうした緊張が続けば、よいアイデアは出にくくなります。相談や報告も遅れます。優秀な社員ほど、ほかの職場を探し始めるかもしれません。
職場をケガレチにする最大の原因は、建物の向きや土地だけではありません。
人を疲れさせる言葉と、人間関係なのです。
社長の機嫌は、会社全体に広がっていく
中小企業では、経営者の存在が会社の雰囲気に大きく影響します。
社長が出社した瞬間、職場の会話が止まる。
社長の足音が聞こえると、社員が緊張する。
社長の機嫌がよい日は、会社全体が明るい。しかし、機嫌が悪い日は、誰も話しかけられない。
このような状態では、経営者自身が会社のケガレチ化を進めている可能性があります。
もちろん、経営者にも不安や悩みがあります。
資金繰り、売上、人材不足、社員の問題、取引先との関係など、経営者にしか分からない重圧もあるでしょう。いつも笑顔でいることを求めるのは現実的ではありません。
それでも、自分の感情をそのまま社内へ持ち込み、社員にぶつけてよいわけではありません。
経営者の感情が不安定になると、社員は仕事よりも社長の顔色を見るようになります。
反対に、経営者が落ち着いて話を聞き、問題が起きても一緒に解決しようとすれば、社員は安心して報告できます。
イヤシロチのような会社をつくる第一歩は、高価な観葉植物を買うことでも、大がかりな改装をすることでもありません。
まず経営者自身が、社員にとって安心して話せる存在になっているかを振り返ることです。
整理整頓は「場」を整える最も身近な方法
職場環境を整えるうえで、すぐに始められるのが整理整頓です。
書類が積み上がり、必要なものが見つからず、誰がどの情報を持っているか分からない状態では、社員は小さなストレスを何度も感じます。
必要なものを探す時間も増え、ミスや情報漏れの原因にもなります。
整理整頓は、単なる美化活動ではありません。
仕事の流れを整え、社員の頭の中を整え、会社の信頼を整える経営活動です。
ただし、経営者が社員に「片づけなさい」と命令するだけでは続きません。
何を残し、何を捨てるのか。どこに収納するのか。誰でも分かるルールになっているか。整理する時間を勤務時間内に確保しているか。
仕組みとして整えることが必要です。
また、経営者の机だけが書類の山になっている状態で、社員に整理整頓を求めても説得力はありません。
場を整えたいのであれば、まずトップが自分の周りから始めることです。
観葉植物より先に、言葉を整える
職場を明るくしようと、観葉植物を置いたり、壁紙を変えたり、休憩室をきれいにしたりする会社があります。
もちろん、こうした取組にも意味があります。
しかし、どれほど美しいオフィスをつくっても、その中で毎日、怒鳴り声や悪口が飛び交っていれば、社員は元気になれません。
会社の雰囲気に最も強く影響するものの一つが、そこで使われる言葉です。
「なぜ、こんなこともできないんだ」
「代わりはいくらでもいる」
「どうせ無理だ」
「前にも教えただろう」
このような言葉は、一瞬で相手の意欲を奪います。
反対に、
「報告してくれてありがとう」
「早めに分かってよかった」
「次はどうすれば防げるだろう」
「あなたのこの部分は助かっている」
という言葉は、社員に安心と次の行動を与えます。
同じ問題を指摘する場合でも、相手を傷つけることと、行動の改善を求めることは別です。
厳しいことを言わなければならない場面はあります。しかし、人間としての価値まで否定する必要はありません。
会社をイヤシロチに近づけるためには、社員が使う言葉を変える前に、経営者や管理職が使う言葉を整える必要があります。
人を元気にする会社は、採用にも定着にも強い
今、多くの中小企業が人手不足に悩んでいます。
求人広告を出しても応募がない。採用できても、すぐに辞めてしまう。若い社員が定着しない。
そこで、給与を上げる、休日を増やす、求人媒体を変えるといった対策を考えます。もちろん、労働条件の改善は重要です。
しかし、求職者や社員は、条件だけを見ているわけではありません。
「この会社で大切にしてもらえるか」
「困ったときに相談できるか」
「失敗しても、やり直す機会があるか」
「ここで働く自分を、家族に話したくなるか」
ということも見ています。
会社説明会や面接のときだけ、会社をよく見せても長続きしません。
入社した社員は、すぐに会社の日常を知ります。
社員が元気に働ける環境をつくることは、福利厚生の一つではありません。採用力と定着力を高め、会社の将来を支える経営戦略です。
イヤシロチ経営とは、特別な装置を置くことではなく、「ここで働き続けたい」と思える場をつくることだと私は考えます。
『にんげん』から、舩井幸雄さんの思想をたどる
舩井幸雄さんの著書『にんげん』には、イヤシロチだけでなく、経営のコツ、包みこみの発想、長所進展の法則、ツキを呼ぶコツ、未来への処方箋など、幅広いテーマが収められています。
書名が、ひらがなで『にんげん』となっているところにも意味を感じます。
会社を動かしているのは、制度や数字だけではありません。
働いている一人ひとりの人間です。
どれほど立派な経営計画をつくっても、そこで働く人が疲れ切っていれば、計画どおりには進みません。
反対に、人が安心して力を発揮できる会社には、さまざまな変化を乗り越える力があります。
イヤシロチについて深く知りたい方はもちろん、経営と人間の関係、これからの生き方について考えたい方にも読んでいただきたい一冊です。
まず、明日の職場を少しだけ変えてみる
会社を一日で完全なイヤシロチに変えることはできません。
しかし、小さなことから始めることはできます。
明日の朝、経営者から社員に挨拶する。
社員の仕事に「ありがとう」と伝える。
机の上に積まれた書類を整理する。
最近元気のない社員に、評価や指導ではなく「何か困っていることはない?」と声をかける。
会議で誰かを責めるのではなく、再発を防ぐ方法を一緒に考える。
こうした行動の積み重ねが、会社の空気を変えていきます。
オフィススギヤマグループでは、
「ゴキゲン社長・ワクワク社員・ニコニコ会社」
を掲げています。
社長だけがゴキゲンでも、社員が疲れ切っていては、よい会社とはいえません。
社員だけに笑顔を求め、経営者がいつも不機嫌でも、会社は明るくなりません。
経営者と社員が互いを尊重し、お客様や地域からも信頼される会社をつくる。そのためには、制度や数字と同時に、会社という「場」を整える必要があります。
イヤシロチは、実際に訪れて感じてほしい
舩井幸雄さんが晩年を過ごした「桐の家」は、現在、舩井幸雄記念館として公開されています。
館内には愛用品や原稿、著書、愛読書などが残され、庭には富士山の形をした石やストーンサークルがあります。
本を読めば、舩井さんの考え方を言葉として学べます。
しかし、その人が最後の住まいとして選んだ場所に立ってみると、なぜ自然を大切にし、イヤシロチという考え方に関心を持ったのかを、別の角度から感じられるかもしれません。
考え方を信じるかどうかは、人それぞれです。
大切なのは、何でも無条件に受け入れることでも、分からないものを最初から否定することでもありません。
自分で読み、自分の目で見て、自分なりに考えることです。
熱海へ行く機会があれば、温泉や海だけでなく、ぜひ舩井幸雄記念館まで足を延ばしてみてください。
そして、記念館から帰った後、自分の会社を改めて見渡してみてはいかがでしょうか。
「社員は、この場所にいると元気になるだろうか」
「安心して、自分の意見を言えるだろうか」
「お客様は、また来たいと思ってくださるだろうか」
この問いに向き合うことが、会社をイヤシロチへ変える第一歩になるはずです。
所在地:静岡県熱海市西山町19-32
開館日:木・金・土・日・月曜日
開館時間:10時~16時(最終入館15時30分)
※開館日や交通案内などの最新情報は、ご来館前に公式サイトでご確認ください。