なぜ社員の「主体的キャリア」は育たないのか?経営者が陥る支援の罠と、弱さを活かす新戦略

杉山 晃浩

現場で叫ばれる「主体性」の違和感

「弱さ」からはじめるキャリア論 ―組織によるキャリア支援の難しさ 市村 陽亮 (著) 

「うちの社員にはもっと主体的に動いてほしい」 「自律型の人材を育てたい」

社労士として、また採用定着士として多くの経営者と対話する中で、この言葉を聞かない日はありません。しかし、多額の予算を投じてキャリア研修を行い、面談制度を整えても、現場から返ってくるのは「次は何をすればいいですか?」という指示待ちの視線……。そんな閉塞感に悩む経営者は少なくありません。

なぜ、私たちの願いは届かないのでしょうか?

その答えを探る中で出会ったのが、市村陽亮氏の著書『「弱さ」からはじめるキャリア論』でした。本書が提示するのは、「強い個人」を前提としてきた従来のキャリア論への鋭いアンチテーゼです。「ひとは本質的に弱く、脆い存在である」。この一見、経営には不向きに思える前提こそが、実は社員の主体性を呼び覚ます鍵だったのです。

「自由な旅人」は幻想か?キャリア形成の不都合な真実

これまでのキャリア論では、人生を「旅」に例え、どこに行くかを決めるのは「旅人(個人)」であると説いてきました。しかし、現実はどうでしょうか。

はじめての就職活動、あるいは転職の決断。そこには親の一言や、友人の動向、あるいはパートナーとの関係など、自分一人ではコントロールできない「他者からの影響」が必ず存在します。著者は、ひとは決して孤立した「自由な旅人」ではなく、多様な主体との関係に埋め込まれた存在であると述べます。

これを「関係的自律」と呼びます。ひとりで決めるのが自律なのではなく、周りに「引っ張られながら」も、その関係性の中で納得して一歩を踏み出す。この「集合的行為」としてのキャリアを認めることから、本当の人材育成は始まります。

【経営者の罠】良かれと思った支援が、なぜ社員をダメにするのか

ここで経営者が陥りがちな「罠」があります。それは「組織支援の両価性(ダブル・エッジ)」です。

会社が社員のためにと用意する手厚い福利厚生、手取り足取りの教育制度。これらは一見、主体性を助けるように見えますが、実は副作用を孕んでいます。支援が「過剰」になると、社員は無意識のうちに「会社がやってくれる」「会社のレールに乗っていればいい」と考え、自分の人生に対する責任感を縮小させてしまうのです。

心理学ではこれを「社会的手抜き(ソーシャル・ローフィング)」と呼びます。社労士の現場でも、制度が整いすぎた大企業ほど「ぶら下がり社員」が生まれやすいのは、このメカニズムが働いているからです。経営者の「良かれ」という善意が、皮肉にも社員の「自ら選ぶ力」を奪っている可能性があるのです。

「能動的な猫」になれるか?主体性を引き出す“意図”のメカニズム

では、どうすれば社員は自ら歩き出すのか。本書が引く「ヘルドとハインの猫」の実験が、その本質を教えてくれます。

同じ景色を見せられても、自分の足で歩いた猫は正しく知覚が発達し、カゴに乗せられて運ばれた猫は発達しませんでした。キャリアも全く同じです。 会社から与えられた目標(カゴ)に乗っているだけでは、社員は「自分のキャリア」を認識できません。たとえ業務命令であっても、そこで「自分の意図(能動性)」を介在させられるかどうかが分かれ目です。

これはアチーブメントの学び、つまり選択理論心理学の「全行動」の概念と深く響き合います。外的コントロール(強制)ではなく、本人の「上質世界(願望)」と行動をいかに結びつけるか。社員が「自分が選択した」と実感できる余白を、組織の中にどう作るかが経営者の手腕となります。

弱さを前提とした新戦略——「繋がりの編集」が組織を強くする

本書が示す新戦略は、社員に「強くあれ」と強いるのではなく、「弱さを前提とした繋がり」を編集することです。

ひとは弱い(外部の影響を受けやすい)からこそ、誰かと繋がることで強くなれます。経営者の役割は、社員を孤立させて競わせることではなく、社員が自らのキャリアに関わる主体(上司、同僚、地域、家族)との繋がりを「確かめ、増やし、時には減らす」自由を支援することです。

これを「キャリアエコシステム(生態系)」の視点と呼びます。強い個人を育てるのではなく、能動的に動ける「関係性の網の目」をデザインする。これこそが、令和の時代に求められる人的資本経営の真髄ではないでしょうか。

【実践】地産地働プロジェクトに見る、これからのキャリア形成

私が宮崎で進めている「地産地働(ちさんちどう)」プロジェクトも、まさにこの「繋がり」の編集です。 地域の企業、行政、そして働く人々が、単なる「雇用主と労働者」という枠を超えて繋がる。その中で、社員が「自分はこの地域で、この繋がりの中で生かされているんだ」と実感したとき、主体性は自然と湧き上がってきます。

採用定着士として断言できるのは、定着の鍵は「強い個」を作ることではなく、「この組織との繋がりが、自分の人生を豊かにしている」という納得感にあります。社員が「自分の足で歩いている」と実感できるよう、情報の透明性を高め、選択の自由を重んじる。そんな組織風土こそが、次世代のリーダーを育てます。

弱さを抱えたまま、共に遠くへ

本書の最後には、著者の温かい眼差しが綴られています。 「ひとは自分のことをすべて自分で決めることはできず、常に弱いわけでもない」。

経営者である私たち自身も、実は「弱い一人」です。社員に完璧を求めるのをやめ、共に弱さを抱えながら、それでも「能動的な猫」として一歩を踏み出す。その不器用な歩みの積み重ねが、組織というアンサンブルを豊かにしていきます。

「今日、あなたの会社の社員は、自分の足で一歩を踏み出しましたか?」

もし答えに詰まったなら、まずは社員の「弱さ」を認め、そこにある「繋がり」を見つめ直すことから始めてみませんか。宮崎の地から、自律と共創が響き合う組織が一つでも増えるよう、私も伴走を続けてまいります。

ぜひこの本を手に取って経営者に考えていただきたいです。
「弱さ」からはじめるキャリア論 ―組織によるキャリア支援の難しさ

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